なぜ日本人はなぜ、他人の声を気にして自分の意見を言わないか? [社会政治]
なぜ日本人はなぜ、他人の声を気にして自分の意見を言わないか?
日本人で論理性を持って物事を見る人、とても少ない。「あいつは悪徳政治家だ。だって顔が怖い!」「有名な***さんが言ってるから事実」「マスコミが指摘しないからデマ」そのレベルで物事を判断する人が多い。
その背景にあるのは2つ。日本の教育は「考える力」を育てない。「記憶すること」「与えられたことを理解してやる」と言うことが中心の教育。いつも書いているが優秀な会社員を育てるのが目的。「考える力」があると、上司に逆らったり、命じられたことに疑問を持ったりする。会社ロボットとして言われたことだけをするような教育。だから、考える力がない。上に従うようにしつけられるのでマスコミ報道を鵜呑みにする。
もう一つの背景は「村社会ルール」狭い地域では問題が起こると大変なので異分子を排除する。人と違うことをする、発言する、その種の人は村八分にして自重させる。そのために人々は問題視されないように、皆と同じ言動、行動をする。目立たない。調和を乱さないことを大切にする。そんな習慣が日本の地方では生き続けて現代に至る。教育されずともそのルールを多くの日本人は受け継いでいる。特に学校や会社内ではそれが有効。子供たちも皆と違った者を見つけていじめをする。
その2つの背景があることで、まず自分なりの意見を導き出せない。意見を持っても人目を気にして言えない。皆が何と言っているか?世間がどう言っているか?を確認して、それに沿った意見を言う。あるいは口をつぐむ。それらは現在のマスく問題。少し前の寅騒動でも言える。
多くと違う意見をFacebook等で書くと、よってたかって攻撃する。これも先の「村社会ルール」から来るものだ。だから、皆、黙る。自粛警察のような働きをする。「人と違うことを言ったら損だ」と思う人が増え、村社会ルールの教えが引き継がれる。「考える力」がないことことも問題だが、これはまた詳しく節明する。
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