人は歳を取ると新しいことを受け入れられない=この1年。それが原因で混乱しているのがあの人たち? [my opinion]
人の許容量というのは限られているが、若い頃にいろんな知識を吸収、経験をした人は当然のことだが、その総量が多くなる。大人になり、今までにない新しいものが出てきたときに、自分が持つ知識に照らし合わせて、最も近いものを探して比較、照合して認識する。例えばパソコン。
当時まだ普及前に森総理が家電量販店を訪問するニュースがあったが、パソコンとテレビの違いが分からず混乱しているのを見て笑った。彼は形からパソコン=新しいテレビと認識したのだ。実際は書く、記録する。写真や文章を保存、音楽を再生、等、これまでになったか総合的な作業ができるマシン。それを彼は過去の知識で、テレビに当てはめるしかなかったのだろう。
付け加えると自分の知識にないものが登場したとき、子供はそのまま受け入れて知識とする。が、大人になるとそれができず、過去の知識に当てはめて、それに近いものとして認識する。知識や経験が少ないと別物と同様と認識し間違った把握をすることもある(まさに森総理)。そして、近い知識が見つからなかったときは「拒否」する。だから必要ない。無理みと判断する。それが老化。だから歳とると新しいものより、昔ながらのもの。例えば音楽でも若い頃に聞いた歌、バンド。昔、見た映画(だから、お年寄りに午前10時の映画祭が好評)だったりする。
が、ここ数年ほど時代が急激に変化しようとしている。今の50代、いや、40代以上が混乱しているように見える。一つ上げるとマスコミ。これまでマスコミは基本反権力であり、庶民の味方。信頼できる存在と思われていた。ところが原発事故でそうではないことが分かり、政府の圧力に弱く、すぐに尻尾を振ってあちらに行く存在であることがバレてしまった。そして、この1年で彼らは最初からあちら側の住人であったことも知られつつある。庶民の味方の振りをして商売していただけなのだ。
しかし、中高年で昔からテレビを見て、マスコミを信頼してきた人たちはその事実を受け入れることができない。若い人たちは近年テレビを見ないので、その呪縛に囚われることがないが「マスコミ」=「真実を伝えるメディア」と認識して来た人たちには、過去の記憶を書き換えることができないでいる。自分の持つ知識にないものは拒否してしまう。それが「マスコミが言わないことを指摘する」人たちへのバッシングだ。「デマを言うな」「それは陰謀論だ」と自分の知識にないものは認められず、拒否することしか出来ない。
パソコンとテレビの区別がつかなかった森総理は、その後、オリンピック招致委員長になったが、差別発言でその座を去る。老化のため男尊女卑という古い価値観を拭えなかったための悲劇。彼の場合は「男女平等」という昔はなかった認識を受け入れることができないために、あんな失言(本音)をして消えていったのだ。
マスコミも同じ。いつまでも「真実を伝えるメディア」という認識でいると、森総理と同じ末路を辿るしかなくなる。が、歳を取ると新しいものを受け入れるのは難しい。若い頃に多くの知識と経験を得る大切さはそこにあるのだ。え?もう遅い?いやいや、努力すればもう少し行ける。まずはマスコミを疑おう。次のステップはまた書かせてもらう。
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