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映画「Fukushima 50」事実でないことを描く=生前に吉田所長自身が否定したことまで!? [再掲載]

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映画「Fukushima 50」事実でないことを事実として描く。=生前に吉田所長自身が否定したことまで!?

劇中で「総理の視察のせいで、ベントが遅れた」という描き方をしている。が、それは事実ではないこと。吉田所長自身が生前に否定。説明している。

(2014年9月17日 東京新聞記事より、福1吉田所長のインタビュー)

<官邸には現場の苦闘が伝わらず、十二日朝、菅直人首相がヘリコプターで福島第一に乗り込んだ>
 -首相は何を話したか。

 「かなり厳しい口調で、『どういう状況になっているんだ』と聞かれたので、『要するに電源がほとんど死んでいます。制御が効かない状態です』と。『何でそうなったんだ』ということで、『はっきり津波の高さも分かりません。津波で電源が全部水没して効かないです』という話をしたら、『何でそんなことで原子炉がこんなことになるんだ』と原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長に質問していました。『ベントどうなった』というから、『われわれは一生懸命やっていますけれども、現場は大変です』という話はしました。記憶はそれくらいしかない。時間はそんなに長くなかったと思います」

 -いかに現場が厳しい状況になっているかは説明したか。

 「なかなかその雰囲気からしゃべれる状況ではなくて、現場は大変ですよということは言いましたが、何で大変か十分説明できたとは思っていません」

 -首相が来たことで、ベントが遅れたか。

 「全くないです。早くできるものは(首相のヘリに汚染蒸気を)かけてしまったっていいじゃないかぐらいですから。私だって、格納容器の圧力を下げたくてしようがないわけですよ。総理が飛んでいようが、炉の安全を考えれば、早くしたいというのが、現場としてはそうです」

元記事=>https://genpatsu.tokyo-np.co.jp/page/detail/12

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つまり、吉田所長が否定していることを、映画では「事実」として描いている。「総理のためにベントが遅れた」=>「事故対応の邪魔をした存在」ドラマでいう「悪役」。そのことで、職員50人は「それに耐えて頑張った英雄」という存在にできる。劇映画の手法だ。

ただ、それをこの映画でしていいのか? 映画冒頭に「真実の物語」とテロップを出し、エンディングに「この映画はフィクションであり、登場する人物は架空のものです」とは出さない。吉田所長も、東電も実名。つまり、全て真実ーノンフィクションということだよね?そんな作品で事実でないこと。嘘を描く?

さらに佐野史郎演じる「総理」は菅直人という名前では一度も呼ばれない。一方、吉田所長は「吉田所長」であり実名。ここから分かること。先の「総理がベントを遅らせた」という事実でないエピソードを描いたのは「勘違い」や「知らなかった」という理由ではないという事だ。事実ではないことを知りながら挿入したエピソードだと言える。

なぜなら「事実ではない!」と告訴された時に「あれは菅総理ではない。総理という名の架空の人物だ」と弁明するために「菅直人」という名前を使わず「総理」にしてあるのだろう。そこからもこの映画は意図的に嘘を交えて「悪いのは天災と官邸。東電は頑張った。日本を救った」という解釈を広めたいという事か? 似たことをした国がある。汚染水が溢れているのに総理が「アンダーコントロール」と嘘を言い、オリンピックを誘致。同じ手法なのだ。

俳優について=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-09

製作面について記事=https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-07

要は東電賞賛映画?=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-08


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