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過労死と後輩ー映画屋の宿命。「毎回、遺作」という思い。 [映画業界物語]

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過労死と後輩ー映画屋の宿命。「毎回、遺作」という思い。

過労死という言葉を聞いたことがあるだろう。元気いっぱいの会社員。朝、妻に見送られて家を出る。午後になって会社から電話。「ご主人が亡くなられました」途方に暮れる妻。朝、あんな元気に家を出たのに...。しかし、考えてみると夫は土日も休まず、何ヶ月も、いや、1年以上も仕事を続けている。病院に行き遺体と対面。医者に言われる。「過労死です」そんなニュースを聞いたり、見たりしたことがある人もいるだろう。

その過労死に至るのが過労。休まずに働き続け、壊れてしまう。そんな話を友人にすると「働き過ぎで死んだりするもんかな?」というが、彼は会社員。仕事中はエネルギーをセーブして、仕事後の居酒屋で全力発揮するタイプ。だが、映画業界、広告業界を見ると、いつ過労で倒れてもおかしくない人たちがいる。1年どころか2年以上休みなしで働くp。1日数時間の睡眠で働く助監督。いつも局に寝泊りしているAD。制作部スタッフは映画でもテレビでも本当に大変。

長年の夢が叶い映画監督デビューした後輩がいる。家も近所でよく会っていた。僕はよく「毎回、遺作!」という。今、かかっている作品は遺作のつもりでやる。そういうと「太田さん。そんなこと言わずにいっぱい映画を撮ってくださいよ」と言われた。僕の作品を高く評価してくれていて

「もっと太田監督の作品。見たいですから....」

と言ってくれた。が、その彼がデビュー作の映画館公開直後に死んだ。過労死だった。低予算の作品。監督である後輩が何人分も働いていた。宣伝も自分でやる。監督作だけでなく、生活のために小さな仕事もいくつもこなした。見ていて、そんな仕事までしなくても....と思うようなものもやっていた。薄利多売。睡眠時間を削り、1年以上も休みなしに働き続けた。監督業のギャラは本当安い。でも、念願の映画監督デビュー。その舞台挨拶の夜に彼は逝ってしまった。僕のモットーである「毎回遺作」を本当に実践してしまった。

僕も似たようなもので、毎回7人分くらいの仕事をする。数年がかかり映画を完成。公開が終わるとダウンする。半年間寝込んだこともある。計算すると数年の間休まなかった土日祝日を全部足すと6ヶ月になった。週末は休むというのは大事なのだ。が、映画作りではそんなこと言ってられない。毎回、医者に言われる。

「休みなさい。過労をなめてはダメだよ。本当に死ぬよ」

しかし、止められるものではない。後輩もそんな気持ちだったのだろう。「沖縄戦」公開終了後からダウンしている。今回は大丈夫だと思ったが、自宅入院生活となった。考えてみると「沖縄戦」は3年がかり。映画館公開中止の危機もあった。劇映画も1本撮っている。そして「沖縄戦」はヒットしたこともあり、5ヶ月のロングランとなり、宣伝に全国を走り回った。その間に休まなかった土日祝日の仕返しが来た。

「毎回、遺作」だが、今回を遺作にする訳には行かない。まだ、やらなければならないことがある。会いに行かねばならない人、報告に行きたい人、いろいろ聞きに行きたい人もいる。が、コロナ禍もある。先方も迷惑。もう少し静養することにする。まだ、DVDを見るのも苦痛。集中力が戻らない。でも、また戦いの呼び声が聞こえて来たら、次なる場所に飛んで行こう。それが監督業のさだめじゃ。


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