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映画監督がなぜ「真実の見つけ方」なんて記事を書くの?=映画屋は嘘を作り上げるのが仕事。嘘を見抜くのも得意なのだ! [映画監督のお仕事]

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映画監督がなぜ「真実の見つけ方」なんて記事を書くの?=映画屋は嘘を作り上げるのが仕事。嘘を見抜くのも得意なのだ!

「フェイクニュースの見破り方」という記事も書いた。「ジャーナリストを気取ってんじゃないの? 映画監督だろう?」と言われそうだが、自身でもふとそれを感じた。そもそもはドラマを作る仕事。現実ではなく、現実には起きないドラマティックな物語を作り、退屈な日常を送る人たちを励まし、ドキドキしてもらうのが映画監督の仕事だ。

ただ、嘘の作り話を映画にするにしても、リアリティが必要だ。可哀想な少女が主人公だとして、どんな風に可哀想か?を考える。あまりにもありえない設定だと、観客が「可哀想!」と思ってくれない。同情したり共感したりしない。今でこそ「貧しい家庭の子供」は多いのでリアルな設定として通用するが、バブル時代にそれをやると「そんな子供おらんやろ〜」と言われただろう。

つまり、嘘の話であっても、いかにもありそうな嘘でなければならない。それがドラマなのだ。そんな物語を作り、いかにも可哀想な少女俳優を起用、貧しい家のセットを作り、貧しい衣装、いかにもという近所の人が意地悪する。こうして観客が同情し、応援したくなる主人公を作り上げる。が、全てありそうな嘘。さあ、分かってもらえただろう。

映画屋は巧妙な嘘を作りだす仕事。だから、他の人や団体、あるいは政府やマスコミが嘘を流しても、他の人以上にそれを敏感に感じ取る。だって、いつも自分たちがやっている事だから。ただ、映画屋は嘘で人を幸せにするが、政府やマスコミは嘘で国民を誘導、自分たちが利益を得る事が目的だ。

違いがあれど、どちらも方法論は同じ。映画でもリアリティというのは90%の真実と10%の嘘を混ぜる事だ。全部が嘘だとバレやすいし、100%真実だとドラマティックでない事が多い。なので、映画も嘘ばかりではいけない。貧しい少女なら「今時の貧しさ」を取材する。戦後の貧困とは違うから。そんな映画を限りなく事実をもとに作る監督がアランパーカーやクリントイーストウッドだ。

「ミシシッピーバーニング」「ライフ・オブ。デビッドゲイル」は実際にあった事件。嘘の部分はほとんどない。ただ、ドラマにする場合に脚色は必要。それが通常の嘘にあたる部分だ。イーストウッドの映画も事実に基づいたものが多い。「アメリカンスパイナー」「ハドソン川の奇跡」も実際にあった事件。事実を描くとリアリティが凄い。それを突き詰めて行くとドキュメンタリーに行き着く。僕の「ドキュメンタリー沖縄戦」はそれだ。

が、事実を事実として描いたのでは伝わりづらい。そこで嘘ではなく演出というものが必要になる。でないと情報が錯綜、混乱、第三者が理解しづらいものになる。事実はシンプルでない事も多い。いかに真実を曲げずに、伝えるか?がドキュメンタリーという世界。そんな仕事をしているので、マスコミの嘘はかなり気づく。編集、映像、音楽、テロップ、様々な部分で誇張や印象操作は可能なのだ。

今、多くのマスコミ報道はドキュメンタリーというより、ドラマに近いものが多い。都合のいいように曲げる。削除する。脚色する。誇張する。事実は10%しか残らない。が、巧妙に作業している。ただ、映画屋なら見ててそれが分かる。それに誘導され、印象操作されている日本人がとても多い。「朝日のあたる家」や「ドキュメンタリー沖縄戦」を作った者として、あれこれ言いたくなる。「騙されてはいけない!」そんな記事を最近はよく書いている。



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