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政治も宗教も自由。ただ、それを押し付けられるのは嫌。いちいち批判する必要はない。各自がそれに励めばいい? [my opinion]

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政治も宗教も自由。ただ、それを押し付けられるのは嫌。いちいち批判する必要はない。各自がそれに励めばいい?

友人で新興宗教の信者がいる。何度も勧誘されたが、その度にその宗教に不信感を持つ。20年ほど勧誘が続いたが、彼もついに諦めた。が、宗教を別にすれば彼はとてもいい友人であり、一生の付き合いになると思える。彼だけではない。仕事柄、いろんな宗教団体と関わるが、どの団体にも素晴らしい人がいる。そして必ずクズもいる。「教義」ではない。人間なのだ。

同じく、自民党を支持する長年の友人がいる。地方に住むので自民の方が恩恵が多い。そして現政権を賞賛しているわけではない。自民が素晴らしいではなく、地方の野党がダメ過ぎるのが原因。そんな彼とも長い付き合いだ。共産党員の友達もいるし、キリスト教徒もいる。民主から追放されたダメ議員を賞賛する知人もいる。騙されているに等しいが、特別に批判はしない。意見を聞かれれば「あの議員がいかにクズであるか?」を説明する。

言いたいのは、どの宗教を信じ、どの政党を支持するのも自由。わざわざ訪ねて行き、あるいはFacebook上で個人に対して、あれこれ説教したり、批判はしない。友人知人に会ったとき、聞かれれば、その宗教や政党、政治家の問題を指摘する。聞かれなければ言わない。個人の自由だ。宗教や政治と友人関係は別だと考える。

逆に言うと、宗教の押し付け、政党への投票依頼は拒否する。話は聞く。先の友人からも団体がいかに素晴らしい活動をしているか?を聞かされたが、次々に疑問が浮かび。質問すると明確な答えが返って来ない。でも、彼は感情的になったりしない。そこが偉い。宗教や政治を批判、否定すると、人格否定されたと怒り出す人がいる。それなら、押し付けはやめて、信仰や支持に励めばいいのだ。つまり政党や教団の批判は自由だが、それを個人に押し付けるなと言うこと。

逆に僕が支持する人、興味を持つ人にイチャモンつけてくる人もいる。「興味を持つ人」を「支持する人」だと勘違いする人も多い。それで言うと、ホリエモンも、緑のたぬきも、橋下も、あへも、みんな興味ある。彼ら彼女らの本も読んでいる。でも、支持しているわけではない。また、支持する人への批判で「なるほど、それは言えるな〜」という批判はまずない。つまり、あれこれ個人に言ってくる人は罵詈雑言の類が多い。正確な情報に基づいた判断ではなく、デマや噂に惑わされている場合も多い。

それらは「卵を食べてはいけない。コリステロール過多で心臓に悪いぞ」と親しくもない他人に忠告するようなもの。卵にはプラスもあるし、マイナスもある。相手の体調も知らず、聞きかじった情報を押し付けることに意味はない。「お前のためだ」と言う奴もいるが、それは建前。「許せない」「分かってない」と言う怒りの裏返しであることが多い。他人のことを放っておいてほしい。自分のFacebookで政党やその宗教の魅力を語ればいい。

僕はそんな考え方だ。そのせいか? 長く付きう友達は信心深い者でも教義を押し付けて来ない(あるいは、途中で諦める?)政党の押し付けはしない。と言うより、僕には何を言っても無駄!と理解してくれているのかもしれない。ありがたい。



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