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理想主義だけは行かずない。なぜ、日本人は100点を望むのか? [社会政治]

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先にも書いたが、20歳前後に学生映画をやっていた。その経験からかもしれないが、僕は理想主義者ではない。どんなに理想を語っても、それが実現できなければ意味がない。理想は大事だが、100%が無理なら理想の30%でもいい。現実に即した展開が大事と考える。が、友人の中には100%が不可能なら意味はない。「俺はやらない!」という奴が何人もいた。

人生は1回勝負ではない。最初に30点でも次に40点。徐々に100点に近づけばいいのに、100点でないと意味がないという奴が少なからずいた。「映画監督になりたい!」というのに10万円の学生映画を嫌だという。「俺はプロを目指すからお遊びはやらない」。だが、プロ野球選手を目指す場合でも、最初は草野球。そして少年野球チーム。野球部。甲子園と進んでいくもので、いきなりプロには行けない。

つまり、野球部にも入らず、試合もしたことないのにプロのチームで投げたい。打ちたいというのと同じ。ただ、映画監督になるための試験も、トレーニングもないので、いきなり出来てしまうという錯覚に囚われるのだ。学生映画であっても自分でカメラを回し、俳優に指示し、スタッフと相談して、自分で編集をしてこそ、映画作りが学べる。いろんな演出や技法を試してこそ、自分なりの表現ができるようになる。

ここにも「才能があれば」という勘違いが背景にあるのだろう。「才能さえあれば、いきなりプロで勝負できる!」みたいなこと。でも、「才能」なんて存在しないことに気づいていない。「才能」と言われるのは、常識を超えた努力をした人が自分の素質を磨き、独自のスタイルを打ち立て、それを表現した時に「とても真似が出来ない。凄い!」と思う理由を「努力」ではなく「才能」というものにすり替えているだけ。

努力と思うと「私は努力が足りなかった」と自己嫌悪になるので努力では掴めない「才能」という言葉で誤魔化しているだけ。だから、そんなありもしないものが自分にあると思い込んで努力しない若者は結局、挫折する。映画監督志望にも多かった。話が逸れた。そんな訳で僕は学生映画をやり、カメラを回し、映画を作ることがどれだけ大変か!?を思い知った。どうすれば映画館で上映されているような映像が撮れるのか?思考錯誤した。

学んだ一つが理想主義ではダメということ。いきなり100点は取れない。最初は30点でいい。そして現実主義が大事ということ。今、やれることをやる。製作費が少ない。友達に俳優を頼むしかない。プロの俳優は出てくれない。ギャラも出せない。その中でヤクザ映画を作ってもダメ。20代の若者が演じてもヤクザには見えない。皆、真面目な学生。この間まで高校生だ。ヤクザごっこにしか見えない。

それなら20代が主人公のストーリー。ドンパチもなく、カーチェイスもない。青春ものをやるとか、できることをすべきなのだ。が、学生映画仲間の多くは、刑事物、カンフーもの。アクションものを作りたがった。それらは刑事ごっこ、李小龍ごっこ、西部警察ごっこになっていた。でも、作るだけ偉い。完全主義の友人たちは「10億ないと俺は撮らねえよ!」と何もしない。

いずれも違うと思った。できることをする。選挙でも同じ。応援したい候補がいないから棄権する人がいる。だが、大事なのは何か社会を変えること。もし、ある候補が問題があっても、もっと危険な候補がいれば、そして他にまともな候補がいなければ、危険なやつを落とすために、問題ある候補を当選させることも大事。理想だけでは行かない。まず現実を少し変えること。とりあえず30点でもいい。マイナスにならないことだ。

だが、100点の候補がいないから選挙に行かない! という人も多い。プロになれないのなら映画監督にならない。テレビドラマに出られないなら俳優になっても意味はない。何だか似ている。大事なのは目の前の問題を少しでも変えること。それがいつか大きな結果に繋がる。



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