日本の戦後教育は国策? =戦時中と同じだったこと。ある取材で痛感。 [日本の教育]
日本の戦後教育は国策?
=戦時中と同じだったこと。ある取材で痛感。
戦中の教育=「米英鬼畜」「欲しがりません。勝つまでは」という教育と戦後の教育が同じ構図であることを何度も伝えてきた。僕にとって10代の高校時代からの疑問であり、当時から「無意味な勉強」と思えていたが、40年近い月日の中で検証し、答えを得た。
確信するに至ったのは3年に及んだ沖縄戦ドキュメンタリーの取材だった。その中で当時を知る方々からお話を伺い、戦時中の皇民化教育とはどういうものか?を調べた。それがまさに、僕らが幼い頃から受けた戦後教育と同じ方法論であったこと。
「戦争をしろ!」
と上から命じるだけでなく、国民自らが
「戦争をせねば!」
と考え願うようになる教育。そして親や大人たちも推奨し褒め称える。戦後教育も同じ構図。
「しっかり勉強して、一流大学に行こう!」
子供達が自らそれを目指し、親たちもまた戦中と同じようにその考え、行為を褒め称える。国策は押し付けるのではなく、国民の1人1人がその価値観に賛同し、国が求める方向に努力して進むものであること。2つの時代を検証し痛感した。
もちろん、戦後は戦争といっても受験戦争。日本を経済大国にするための国策教育。その全てを否定するものではない。が、
「与えられたことを疑わずに確実にこなす」
そんな人材を育てるものなので、それ以外の素質があって、その素質に著しく欠ける者も、例外なくそのベルトコンベアに乗せられて選別され、それ以外の力を養う機会を失った。
そのような人材ばかりを育てたために、20年も続く不況を脱することができず、日本を三流の後進国に貶めた原因にもなっている。いずれにしても戦時中は戦争に反対すると
「非国民」「死ぬのが怖いのか!」
と言われた。受験戦争を批判すると
「落ちこぼれ」「お前は勉強するのが嫌なだけ!」
と言われた。国が思う方向に子供達を思想教育し育てようとすることは、賛同できないし、非常に危険であり、大きな犠牲を伴う。
だが、いずれも国策は国民全体に浸透し、それを疑うことなく親も子供も従ったことは恐ろしいとしか言えない。もし、戦争が再び起きれば、国は同じ方法論で教育を再開。国民はまた疑うことなく従い、太平戦争の悲劇を繰り返すことになるはずだ。そんなこと「沖縄戦」で取材した当時を知る方々の話を聞いていて強く感じた。その意味でも「ドキュメンタリー沖縄戦」見て頂きたい。
沖縄戦ブログ=>https://okinawa2017.blog.so-net.ne.jp
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