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僕が発言すると不協和音が起こる。その理由を考えた? [日本の教育]

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僕が発言すると不協和音が起こる。その理由を考えた?

以前「向日葵の丘」に出てくれた芳根京子さん主演映画のトークショーを見に行った。まだ、彼女が大ブレイクする前の小さな映画上映の会。司会の人が「質問がある方〜」というが手が上がらない。すると、芳根がジーーーーと僕を見つめている。「監督。何か質問してください!」という目だ。

いけない!僕が質問したらまずい。と言うのは、その場の空気を壊してしまうのだ。目を逸らして気づかない振り。で、目をステージに戻すと、まだ、見ている!あーーでも、しない!と大人しくしていた。後で楽屋を尋ねると「質問して欲しかったのに〜」と本人に言われてしまった。

だが、ファンも来ていたし、トークショーの調和を乱しては申し訳ない。似たようなことは学生時代からあった。中学時代の学級会でもそう。特別なことは言わないのだが、調和が乱れる。

以前にそのことを考え、気づいた。結婚式のスピーチ等でマイクに向かうとき、原稿を読みあげる人がいる。朗読のようだ。あるいは抑揚のないイントネーションで、NHKのアナウンサーのような話し方をする。多くの政治家もそうだ。今の総理もそう。ま、彼の場合はプロンプターで原稿棒読みだが。対してアメリカの政治家はもっと抑揚のあるリズミカルな言葉でスピーチする。日本語と英語の違いか?

ケネディも、トランプも、ヒラリーでさえ、聴衆に訴えかけるスピーチをする。英語はもともとリズムがある言語ではあるが、日本語だって日頃はリズミカルな話し方をする。関西弁なら余計にそうだ。なのに誰も教えないのに、日本人は人前で話すときは、抑揚のない平坦な話し方をする。内容も差し障りのない内容になる。ここにも「ムラ社会ルール」に通じるものがあるのではないか?

特別なことを言わない。個性的なことは言わない。差し障りのないことを言う。無難な話をする。これらはムラ社会ルールで「新しいことをしない」「皆と同じにする」「個性を出さない」と言うのと同じ。スピーチ、発言でもそれに縛られるのではないだろうか? そこで子供時代から協調性のない僕が発言すると、不協和音が起こると言うことではないか?

だから、誰かの会ではなく、僕の講演会、トークショーはとても好評。結婚式のスピーチでは個性的であるより、無難な方が安心。でも、講演会で差し障りのないことを話されても退屈なだけなのだ。個性的な方がトークは面白い。だからウケると考える。

僕は社会の枠や環境に合わせて大人の対応ができないと言うことなのだろう。だから逆に、誰もしないこと。人が言わないことをしてしまうタイプは、表現の仕事が向いていたと言うことなのだ。50代になりようやく自身が分かって来ても先は短いが、人生とはそんなそういうものなのか?



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