何故、人のFacebookに「**は嫌いです」なんて書き込むのか?=趣味嗜好を会ったこともない人に伝える人たち [FB問題]
何故、人のFacebookに「**は嫌いです」なんて書き込むのか?=趣味嗜好を会ったこともない人に伝える人たち
コメント欄。以前のような失礼千万なものはほぼなくなったが(時々ありますが)最近も首を傾げるものを見かける。これはひねくれ者の私の主観であり、一般的にはよくあることかもしれない。が、とても気になる。
「私は**が嫌いです」というコメントしてくる人がいる。橋下やホリエモンのことを記事にすると、よく書き込まれる。彼らを嫌う人は多いだろう。でも、それ以外の政治家や芸能人でもそんな似たようなコメントをする人がいる。
そんなことをコメント蘭に書いて何になるのだろう? これが「嫌いです。何故ならば*****だから、それは首長として相応しい行為とは思えません」と理由を書くのならまだ分かる。が、好き嫌い、好み、趣味嗜好。そんなことを聞かれてもいないのに、書き込んでくる意味が分からない。読んだ人の何かプラスになるのか?
親しい同士ならまだ「君はあの人が嫌いなんだね」と、その人の嗜好を知る情報ともなり、付き合う上での指針ともなるかもだが、Facebook上の友達にそれを知らせる意味はない。「エビフライ食べました」という写真入りの記事に「洋食は嫌いです」とコメントするのと同じ。「あんたも食べろ」というのではない。そう考えると、無意味であることがよく分かるだろう。
何でそんなことを書き込むのか?考えてみる。橋下と聞き「あーあいつねー、嫌いなんだよなー」と感じる。それを深く考えずに「嫌いだ」と書き込む。その記事を書いた僕がどう思うか? それを読んだ他の読者がどう感じるか?も考えずに書く。テレビを見ていて、嫌なタレントができてた。「こいつ嫌な奴だよなー」と1人でつぶやくことはある。それと同じ。でも、いちいち、他人のFacebookに書き込む必要はない。2チャンネルではないのだ。
僕のFacebookのコメント蘭を見てもらえば、多くは真面目に社会や政治を考えている人が多い。ちょっと破茶滅茶な人もいるが、真剣に考えていることが分かる。そこに「こいつは嫌いだ」と自分の趣味嗜好をコメントすることに意味があるか? 駅の伝言板(最近はないけど)「バカ」「***死ね」「**嫌い」と書くようなもの。要はコメント欄を感情のはけ口に使っているだけなのだ。
ただ、僕も橋下は大きな問題を感じる。が、それを「嫌い」と言っても広がらない。多くに問題点が伝わらない。彼の問題点を挙げて批判してこそ他人の理解が得られる。好き嫌いをいくら叫んでも多くの賛同は得られない。そこを考えることが大事ではないか?
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