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なぜ、人は些細なことで争い、相手を踏みつけてしまうのか?(前編)=反原発を掲げるオジさんたちの葛藤。 [思い出物語]

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なぜ、人は些細なことで争い、相手を踏みつけてしまうのか?(前編)=反原発を掲げるオジさんたちの葛藤。

「朝日のあたる家」の時、ネトウヨ、原発推進からあれこれ批判や攻撃を受けた。が、彼らは推進したいんだから「原発事故がどれだけ酷いものか?」を描く映画なんて作られては敵わない!と思うのは分かる。全国公開させたくない。揚げ足を取り、貶めるのは当然(?)。それは逆に、映画に強い影響力があることの証明でもあった。

あの時に悲しかったのは、何度も書くが、同じ思いの原発反対の人たちからも批判や中傷を受けたことだ。多くが年配の人たち。官邸前で抗議行動をする若い人たちをも批判する。「勉強不足だ!」「努力が足りない!」「目立ちたがり!」と批判した。これも何度も書いたが、そこには別の心理がある。

彼らはチェリノブイリ事故から声を上げ、勉強をしてきた。が、日本では原発問題を真剣に考える人は少なかった。「日本の原発はソ連と違って大丈夫」という人たちもいた。「心配性だね」「お前、おかしいよ」と笑われたりもしたはず。そんな1人にインタビューしたこともあるが、当時マスコミは全く注目せず、多くの人からバカ扱いされ、踏みつけにされたという。

それから25年。福島で事故が起きた。「そら見ろ!日本も同じだろ。俺たちはそれを警告してきたんだ。俺たちの声を聞いていれば、こんなことにはならなかったんだ」と思っただろう。だが、その時期。若い人たちが立ち上がり、反原発運動が広がる。マスコミは彼らに注目。ネットでも賞賛された。年配世代は思う。

「何であいつらなの? 俺たちは25年前から活動してんだぞ」

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嫉妬。それが怒りに変わる。「俺はあんな若造たちは認めないからな」若者を安易取り上げるマスコミに腹が立つ。ある人が解説した。

「それは承認欲求。俺たちも認めてくれ。褒めてくれ。という思い。それが満たされないので、若い人に嫉妬し、批判しているだけ。自分たちを正当化するために、ー悔しい、嫉妬するとは言わず、ー勉強不足、目立ちたがり、という批判の仕方をする」

それ当たっているだろう。勉強不足なら、知識ある世代が教えればいい。が、それはしない。原発反対という同じ思いを持ちながら、対立し、批判し、見下す。そんなことでデモ参加をしなくなった若者も結構いる。もちろん、年配の全てがそうではないが「朝日のあたる家」の時もそんなタイプのオジさんが何人もやって、面と向かって批判、罵倒された。

「こんなものは初心者向けの映画だ。もう少し勉強してから作るべきだったね。人に見せるレベルじゃないよ」

そんなことをわざわざ伝えに来た。悲しい話だ。僕はまさに、彼らが願うように、原発の危険性を多くに伝えるために映画を作った。なのにわざわわざ否定しに来る。何度もそういうことがあった。また、若い人たちでもこういう人がいた。

「内部被曝を描かずして原発事故は伝えられません。それを描いていない映画の応援はできません」

いずれも同じ目的を持ちながら、小さなことで線を引き批判し対立する。なぜ、同じ目的を持ちながら、いがみ合い争うのか? 推進派がそれを知ればこう思うはず。

「もっとやれ〜内輪で争って、内部崩壊したらいいのに!」

原発問題だけではない。友人が地方で映画を作った時も似たようなことがあった。そこでも人の愚かさを痛感する...。(続く)



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