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子ども食堂を批判する人たち=反原発の若者を否定するオヤジと同じ「承認欲求」が満たされない不満の裏返し? [心理を分析]

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子ども食堂を批判する人たち=反原発の若者を否定するオヤジと同じ「承認欲求」が満たされない不満の裏返し?

子ども食堂の記事。反響があった。頑張る食堂の店主をあれこれ批判する何もしない人たち。他人事とは思えず、本当に腹立たしい。コメントもあれこれ頂いた。そんな中に興味深いものがあった。

「承認欲求を間違った形で求めている人たち」

なるほど、それが背景になるだろう。説明しよう。人にはいろんな欲求がある。食べる、寝る、金が欲しい、異性が欲しい、等の基本的なものに加えて「認められたい」「褒められたい」「尊敬されたい」「注目されたい」と言う「承認欲求」がある。若い子がよく芸能人になりたい!と言うが、そのくせ俳優なのか?歌手なのか?アイドルなのか?決まっていないと言うのもそれ。要は「有名になりチヤホヤされたい」と言うだけ。それも「承認欲求」である。

原発反対デモに参加する若者を批判する、反原発オヤジがよくいる。同じ原発反対なのに若い連中を「目立ちたいだけ」「不勉強だ」「チェリノブイリの時は何もしなかったくせに」と批判したがる。そのことで多くの若者が原発反対を辞めた話をよく聞く。もともと、オヤジたちは原発に反対なのに結果、次世代を潰しているだけ。愚か過ぎる行為。そんなオヤジたちの心理を分析しよう。

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チェリノブイリ原発の事故。1986年。日本から遠く離れたソ連(今のウクライナ)の事故に多くの日本人は他人事だと考えた。が、日本の将来を憂う心ある人たちは、大きな問題であることに気づいた。反対運動をし、警鐘を鳴らし、勉強も続けた。が、原子力村の力も強く、変人のレッテルを貼られ、一般からは無視されて不遇な時代を過ごす。

35年後。福島で原発事故。国内の惨事に多くが危機感を持った。大掛かりなデモも始まる。それを見たオヤジたちは「ようやく、日本人も問題に気づいたか。よしよし」とは思わず、「今頃なんだ。俺たちが散々、警鐘を鳴らしたのに無視し、バカにしたくせに!」と言う怒りに変わった。感情的になり状況を正視できず。真剣に原発反対する若者を「どうせ、目立ちたいだけ」と批判。「勉強不足だ」と否定した。

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その怒りにも「承認欲求」が関わる。311からの原発反対運動はネットを中心として広がり、官邸前で抗議する人たちは英雄的存在になった。注目を浴び、賞賛される。それを見たオヤジたちは「反対運動は俺たちの方が先だ」「なのに、なぜあいつらが支持される!」と言う嫉妬もあるだろう。自分たちは承認されず、若者が承認された。「承認欲求」が満たされない。

こうして若者たちを否定し、踏みつけることで「俺たちの方が上だ。あいつらは無意味だ」と自身を納得させるために批判、否定。自分たちの意味、意義を確認せずにいられなくなったのである。「自己確認」これも人が求める欲求の一つ。同じことが子ども食堂にも言える。

「俺たちも子供達のことを考えている」

と言う大人たち、でも何もできない。承認欲求が得られない。だから、頑張る子ども食堂を批判して「俺たちはもっと子供達のためになることを考えている。お前は努力が足りない」と思うことで自己確認をしているのである。何とも悲しい。

子ども食堂の記事=> https://citrus-net.jp/article/90752?fbclid=IwAR205erGKH6GMXEzF9sDpXZr75pRR7-lISyQ71d0ZVGkfL1kptSnBVs1PUQ



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