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「朝日のあたる家」映画館が次々に上映拒否した頃(上)=圧力もないのに自粛する支配人達。 [思い出物語]

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「朝日のあたる家」映画館が次々に上映拒否した頃=圧力もないのに自粛する支配人達。福島の現実を見つめない人々。(上)

原発事故が題材なので制作費集めが大変だった。が、映画館上映に関しては楽勝だと考えていた。当時は原発事故から2年。独立系の映画館で上映されるドキュメンタリー映画に多くが関心を持っていた。事故や放射能についての知識を映画から得ようとしていた。「朝日のあたる家」は大手映画館での上映は無理だとしても、その手の独立系の映画館なら喜んで上映してくれるだろう。

ところが、その手の映画館がまず上映拒否。いろんな理由があった。まず事故直後は先に説明したドキュメンタリー映画を多くの人が観に来ていたが、次第に客足が減っているので「原発関連はもうダメ」と判断する映画館。次に「ドキュメンタリーはまだ多少は客が来るがドラマだからダメ」という映画館。

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そう「朝日のあたる家」は劇映画だ。かつて日本映画で原発事故を描いたものはなかった(「原子力戦争」は背景の一部にそれがあったが、基本は殺人事件の話)そして「朝日」の直前に日本初の原発事故の映画が公開されたが(先起こされた)大ヒットとはならず、前例にならなかった。こんな理由もあった。

「2度目の事故が1回目と同じ展開な訳がありません。想像力というものがないのですか? そんな映画をウチで上映することはできません!」

「朝日」は福島の事故と同じ展開にしてある。時間経過も同じ。テレビ報道も官房長官の言葉も枝野が言った通り。それでいて別の街で事故が起こった設定にすることで、自分の故郷で原発事故に巻き込まれたらこうなる!と観客に感じさせる。

福島を舞台に描くと「福島、大変だね」「気の毒だね」と現実同様に他人事になってしまう。どこにでもある田舎町を舞台にして観客自身が原発事故を体験できるようにしたのだ。その意図が理解されず「福島と同じ展開なのは作家に想像力がない」というのだ。

しかし、2回目の事故を想像して、より酷い被害の物語を作っても意味はない。テレビでよくあるシュミレーション・ドラマに過ぎない。あれらを観ても「へーーそうなんだ」と思うだけ。そんな作品で恐怖や悲しみは伝わらない。突き刺さるのは現実。だから福島の事故を別の街で再現した。そのことで福島の人たちの悲しみや苦しみ。恐怖や絶望感を観客に伝えることができる。


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なのに「想像力のない映画」としか解釈せず上映を拒否。想像力がないのはどちらだ?と思うのだが、このように原発関係のドキュメンタリー映画を上映する映画館からまずNOを突きつけられた。そこで、その種の映画を上映したことのない独立系映画館にアプローチ。今度は定番の答え。

「原発事故の映画は上映できません...」

中には「原発事故で政府がこんな酷い対応をするわけがない! リアリティのないドラマだ」という支配人もいた。全ては福島で起こった通りなのだが、原発事故に関心なく報道も見ない人は政府の冷酷な対応はあり得ないと感じたようだ。そのあり得ない対応が福島では現実に起こっているのに直視しようとはしない。一番多いのはこんな答えだ。

「原発事故の映画を上映して、どこかの誰かが何かを言って来ると怖いので上映は控えたい」

では、どこの誰が何を言ってくるのか? 東京電力が「電気止めるぞ」と電話してくるのか?経産省が「上映するな」というか? そんなことをしたら新聞種だ。当時はまだ原発報道が盛んで東電は厳しい批判にさらされていた。つまり「いるはずもない誰かが。何かを言ってくるのが不安なので上映しない」ということだ。

そんな風に圧力ではなく、ありもしない想像をして不安になり、勝手に自粛する。そんな映画館がほとんどであった。こうして「朝日のあたる家」はお蔵入りか?と言われたが、どの映画館にお願いしても快い返事は返ってこなかった.....。(続く)


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