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記者や刑事でなくても真実に近づくことができる③ = 今回はかなり難しい内容。文章長いしね? それがテーマ? [事件]

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記者や刑事でなくても真実に近づくことができる③ = 今回はかなり難しい内容。文章長いしね? それがテーマ?

先日、書いた記事「記事を読まずにタイトルだけ見て批判する人」「記事は読むが内容を理解せずにコメントする人がいる」という話を書いた。その背景にあるのは「考える力」を育てて来なかった教育があると指摘。それについて意見、推理する友達がいた。

「教育と言うより、文章を読むのが面倒なので、いきなりコメント書くんだよ!」

興味深い指摘なので解説したい。いつものように「ステップ1」から。まず、この友達の主張を確認する。僕は記事で2つの指摘をした。

「ステップ1」
①「記事を読まずにタイトルだけ見て批判する人」
②「記事は読むが、内容を理解せずにコメントする人」

この2タイプがいることを挙げた。友達の指摘は「文章を読むのが面倒なのでいきなりコメントをする」だ。記事を読んでいないという指摘なので②の「内容を理解せず」ではなく①の「タイトルだけ見て批判」を指している。では、この人の主張を分かりやすく書くと以下になる。

「読むのが面等なのでタイトルだけ見て、コメントをするんですよ。教育の問題ではありません」

「ステップ2」

この主張のキモは「読むのが面倒」と言うところ。「今時の人は文章を読むのを嫌がることが多い」と言う背景だろう。それは分かる。ただ、おかしいのは「読むのが面倒」な人がなぜ、コメントを書くのか?「読む」より「書く」方が時間も労力もかかる。より面倒な行為。と言うことは批判をしてきた人は「面倒」とは考えてないと思える。

「ステップ3」

その時は橋下徹の本について書いた。すると「私は賛同しません!」とコメント。橋下を支持する。賛同すると言う記事ではない。タイトルだけ見て「橋下だ!大嫌い」と思い、記事を読まずに「賛同しない」と内容に関係しない個人の思いをコメントしたのだろう。つまり「読むのが面倒」と言うより、激しい嫌悪感を持ち、記事を読む気にもならず、橋下への怒りをぶつけたと言うのが正解だろう。

「ステップ4」

例えば学校の授業で小説の感想文を書かねばならない。「読むのが面倒なので、あらすじだけ読んで感想を書いた」と言うのはあり得る。が、面倒なのに宿題でもないのにFacebookのコメント欄に書き込むのは「面倒なので」ではないと言うこと。つまり「友達」の指摘する「面倒なので読まずにいきなりコメントをする」は違うということだ。

多分、その人が言いたかったのは先にも書いた「今時の人は文章を読むのを面倒がる」と言うことだ。それは正しい。なのに、その人もまたしっかりと記事を読まずに「ああ、そのコメントをした人も文章を読むが面倒だったんだ」と安易に感じ、自説をコメントした。ということだろう。ここで終わりではない。

「ステップ5」

では「面倒なので読まずに」はなぜ、起こるのか?を考える。これこそがその友達が違うと言う「教育」が原因なのだ。日本では長文を読み、自分なりの意見を述べると言う教育はない。「この小説は***を描いています」と言う教え方をされる。他にも自分で考える授業がない。長文を読む訓練がなされていない。だから、読むときに「面倒になる」のだ。苦手なので面倒になる。

ここまで考えると、記事で指摘した「教育が日本人の考える力を育てていない」ことが改めて確認できる。考えるだけではない。読む力も弱いことも確認できる。考えていくと、いろんなことが見えてくるでしょう? ここまで読んでくれた人はかなり「長文読解力」がある人。読んでくれてありがとう。考えれば答えは出るんだよね。



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