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考える力ー育てる教育が日本はない。だから、国民はすぐダマされる=コメント欄から見えてくるもの? [FB問題]

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考える力ー育てる教育が日本はない。だから、国民はすぐダマされる=コメント欄から見えてくるもの?

最近は多くの方が僕の記事を読んでくれている。本当にありがたい。だが、同時にコメント蘭を見ていると心配になることもたくさんある。先日書いた「タイトルだけ見て批判する人」「写真だけ見て激怒してコメントする人」これらも困ったものだが、最近、気になるは真面目にコメントしてくれている人で、僕が指摘した問題についても真面目に考えてくれているのだけど、明らかに間違った答えを導き出している人がいる。

また、記事で切り込んだ内容には触れず、その文章の中で何か自分が思い出した関係のない話を延々と書き込む人もいる。その辺は自由ではあるが、どういう意味があるか? 似た例をあげればどこかの総理が聞かれた質問に答えず、関係ない話を延々とするような。まるで連想ゲーム?

それは頭がいいとか悪いとかではなく、日頃から考えることが少ないからだと思える。いつも書くように日本の教育では自分であれこれ考えて、答えを見つけるという授業は少ない。教えられた方法論や数式を使って答えを導き出すものがほとんどだ。あとは暗記。考える必要はない。

また、自分の意見を述べる機会も少ない。アメリカのようにスピーチやディベートの授業はない。むしろ、自分の意見を言わず、与えられたことを確実にやる。自分なりの方法論ではなく、決められた形でやる。要は優秀なサラリーマンを育成する教育なので、考える力は必要とされないのだ。だから、その力が育たない。

大人になり会社でも自分の意見を伝えることは多くない。ニュースを見てもキャスターが語るコメントを鵜呑みにして、誰かに語る人も多い。そのニュースがフェイクではないか?と疑う人もあまりいない。特にNHKは嘘は言わないと固く信じている。映画の感想を聞かれても多くが「感動した」「泣けた」としか言えず、どこがどう感動して、なぜ、泣けたか?を自分の言葉で説明できる人は多くない。

「考える」「思いを伝える」「物事を見抜く」という行為を子供の頃から日本人はしていないので苦手なのだ。しかし、「れいわ」登場で多くの人があれこれ考え始めたのではないか? 僕の記事はそれらの人に対して「これはどう思う?」「これは何だと感じる?」という問いかけをする。だから皆、真剣に考えてくれる。だが、子供の頃からそれをしていないので、間違った結論を出す人が多いのだろう。

「考える力」がないことで「不況が続くのは仕方がない。そういう時代なのだ」と思ってしまう。本当は「安倍政権の政策が間違っている。まだ景気回復をしていないのに消費税を上げて景気がさらに冷えてしまった」のである。でも、考える力がない人はそれに気づかない。「安倍さん頑張っているし、もう少し応援しよう」となる。そこを山本太郎は指摘している。そのことで目覚めた人は多い。考え始めた人もいる。

でも、十分ではなく、間違った結論にたどり着く。それをコメント欄でよく見かける。別の機会にそのことを具体的に説明する。考える力がないと結局、政権に利用されることになる。真実を見抜けずに搾取されてしまう。さあ、みんなで考えて行こう。


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