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なぜ、日本人は政治の話を避けるのか? 議論しないのか?=そこから見える教育と習慣。利用されやすい人たち。 [れいわ新選組応援]

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なぜ、日本人は政治の話を避けるのか? 議論しないのか?=そこから見える教育と習慣。利用されやすい人たち。

先日、長年の友人と電話で話した。彼の町で参議院選はどうだったか?を例によって訊こうとしたら、言われた。

「その辺を話すと揉めるので...」

僕が「れいわ新選組」の記事をかなり書いている。それを読んでくれていると言う。彼は自民党支持。そのことで揉めたくないというのだ。だが、その友人は非常に聡明で鋭い。僕のことをよく分かっている。なのに政党の話を避ける。僕が自民を批判し「れいわでなければ!」と感情的に訴えると思ったのだろうか? 

確かに僕のFacebookにも「N国」「橋下」のことを書くと感情的に「許せない」「最低だ」と記事を読まずにコメントする人たちがいる。政治は日本人を感情的にするのだろう。しかし、もし、議論するなら、その党のプラスとマイナスを考え、他党と比較する。その上で今後、どう考えていくべきか?を話してこそ意味がある。感情的に争っても無意味。だが、そうなることが多いのだろう。なぜ、日本人は政治に対してはそんな反応を示すのだろう?

まず、ディベートが下手。慣れていないということがある。つまり議論。アメリカでは子供の頃から学校でディベートの授業がある。2つの対立した考え方を議論。感情的にならず、論理的に言葉で説明して、相手を説得するという勉強。それの究極が大統領選前にある候補者同士のディベートだ。最近ではトランプVSヒラリー。有名なところではケネディVSニクソン。

でも、日本の総理を選ぶときに、そんなことをしない。知事選でも報道番組が候補者を呼ぶが、司会者が順に質問するというパターンで候補者同士の対論はほとんどない。どうも日本人は対決を避ける傾向もある。それと議論が苦手。日常でも意見がぶつかると「まあまあ」と揉めないような方向に、周りが持っていこうとする。

つまり、日本人は意見を述べるのが苦手。議論はもっと苦手。対決を好まない国民性。だから、意見が分かれる政治になると、議論ではなく感情的対立になりがち。いかにも日本的な背景だ。こうして地方では自民支持でも他の党支持者とは深く話さない。他の党支持者も同じ。それぞれに支持政党以外の政策を知ろうとはしない。

他に素晴らしい政策の党が出てきても関心を持たない。古い政党にとってはありがたい習慣だ。あれ? これは宗教と同じだ。仏教信者はキリスト教に興味を示さない。途中で宗教を変えると言うことは少ない。同じように代々、仏教徒は親も子も仏教。同じお寺に関わる。

自民支持者も地方では代々自民。他の政党には関心を持たない。こうして宗教も政党も腐敗し、搾取が行われても、信者も支持者も気づかず。他を知ろうとしない。議論もしないし。政党や宗教に支配され、自分たちのための宗教や政治ではなく、組織の利益のための信者、支持者になってしまうのだろう。政治と宗教の両方をやっている組織もあるしね。日本人は本当に利用されやすい国民性と習慣を兼ね備えている。


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