Facebookのコメント欄を見ていると、いろんなことが分かる。深く考えない日本人? 乗せられやすい? [れいわ新選組応援]
Facebookのコメント欄を見ていると、いろんなことが分かる。深く考えない日本人? 乗せられやすい?
僕のFacebook友達はリテラシーが高い人が多い。テレビでは報じない情報を持っている。だから、僕もいい加減な情報は書けない。その度に情報源をネットや出版物で再確認する。でも、同時に「はあ?」「何ですか?」「それ、ちゃいまっせ〜」と思えるコメントをしてくる人もいる。アンチではなく「れいわ」支持者。僕の記事を好意的に読んでくれている人たちだ。
そんなコメントが来ると、事実誤認であること。指摘がズレていること。記事とは関係ない話を書き綴っていますよーと伝えたくなる。が、それをしだすと、凄く時間が取られること。その人の勘違いを伝えるには別の角度から記事を書き直すような労力が必要なこと。また、議論になることも望まないので、返答はしない。
それがあまりの暴言。誹謗中傷。他の人が真に受けてしまうというときは削除するが、それ以外はなるべく触らないようにしている。が、明らかに間違ったコメント。勘違いはどうすればいいだろう?と思える。
「トランプは戦争屋だ! 安倍と同類だ!」
とかいう書き込みも以前は多かった。が、事実ではない。その件はすでに記事にして凄い反響があり、それ以来なくなったが、
こちら=> https://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/archive/c2306102606-1
マスコミやネットが流すデマを鵜呑みにする人。書かれた記事で思い出したことを延々綴る人。タイトルだけ読んでコメントしてくる人(当然、当て外れの意見!)他の読者が読むと「このコメント何?」なるだろう。
それらから思うこと。ある種の人たちはとても情報通で、記事を読み喜んでくれている。多分、この人たちはコメントをしない。が、ある種の人たちは読解力がない。日本の教育にはそれを鍛える授業がない。だから記事が指摘していることは何か?を鋭く読み取れない。例えば「消費税はゼロに山本太郎が提案する」という記事で
「昔、消費税が3%の頃は計算が大変で、5%の方が計算しやすくていいね...とか話したのを思い出します」
そんなコメントしてどうなるの?となる。それはテレビで野球中継を見ていて
「そういえば中学時代にもイチローという名前のクラスメートいてさあ。野球が得意だったなあ」
と話すおじさんと同じなのだ。他の読者が読んでどう思うか? 考えずに「思い出した!書いた! 深く考えない!」ということ。先日の進次郎結婚ニュースも、自民のプロパガンダとは思わず...
「わー2人とも素敵〜」「おめでとう〜」
と祝福してしまう。裏を考えない。そこから感じるのは、マスコミを通じて、テレビや新聞を通じて国民を誘導するのはさして難しくないということ。簡単に信じる。本質を見抜けない。すぐ忘れる。この国は都合のいい大人を数多く育てて来たのだ。そんな中、何をどうすればダマされない日本人が育つのだろうか? 考えてしまう。
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