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「思い込み」の強さは表現者に必要。だが、同時に「思い込み」で人生を失うこともある。 [映画業界物語]

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「思い込み」の強さは表現者に必要。だが、同時に「思い込み」で人生を失うこともある。

上から目線で偉そうに言う人は「思慮深くない。単純発想。いろんな角度から考えない。テレビ報道を鵜呑みにするタイプが多いと先に書いた。が、プラスして「思い込み」が強いタイプでもある。思い込みは芸術活動。クリエーターには武器になると以前に書いた。俳優なら

「自分は殺人犯だ」「恋人は目の前にいる女優だ!」

と思い込むことで、役になり切れる。が、それは諸刃の剣。役の上ではなく、以前の記事で書いた新人俳優のようにテレビディレクターにちょっと褒められただけで、

「俺は認められた! 未来は明るい!」

と思い込み、有名俳優でも言わないような横暴な発言をするようになることがある。その構図と、上から目線が非常に近いものに思える。どちらも、大したことのないことを拡大解釈して、身の丈に合わない言動や態度を取ってしまう。そんな「思い込み」の強さは俳優を始めてとする表現者には大切だが、一つ間違うと命取りにもなる。

俳優だけではない。例えば、あなたが若い頃。飛行機に乗り、もし、墜落しても「私だけは助かる!」と言う根拠のない自信を持ってはいなかったか? 中学時代に「真剣に勉強すれば東大にだって行ける!」と考えてはいなかったか? それも「思い込み」の一種だ。

「この女の子は僕のことが好きなんだ....」

そう思ってアタックしたら、全然その気が無かったとか? そんな経験は誰しもあるだろう。その構図を解説するならこうだ。人が物事を認知し考える行程。

①その子は僕に親切だ。
②よく話しかけられる。
③僕を好きなのかもしれない。
④可愛い子だ。彼女にしても恥ずかしくない。
⑤彼女は僕が好き。でも、女から言い出せない。
⑥よし、僕から「付き合って!」と言おう!
⑦「勘違いしないで!そんな気ない」ビシ!と振られる。

本来なら、①②の段階で考えるべきだ。その子は男子とも平気で話をするタイプかもしれない。趣味が共通するだけかもしれない。それなら、いつもどんな話題になるか?を考えてみる。趣味か?勉強か?テレビの話か?

勉強のことなら、自分の成績がいいから分からないことを教えて欲しいだけかもしれない。趣味の話だとしても、女の子でその手の話ができる相手がいないとか、新しい情報が欲しいかもしれない。

それを「よく話しかけられる」=>「僕が好き?」と解釈するのが「思い込み」だ。根拠なく、勝手な憶測や想像で都合のいい結論を導いてしまう。もちろん、だからこそ、俳優は自分が政治家ではないのに「政治家だ!」と思い込み役を演じることができる。でも、それを日常生活でしてしまうと問題が生じてくる。

その想像力が常識を超えてしまうのが、精神病。例えば統合失調症の患者には「俺は神だ!」と言い出すことことがある。そのメカニズムを説明すると、ある時、街で車を走らせていると、目の前の車。ナンバープレートが「06ー30」だった。

「6月30日? 僕の誕生日だ....」

普通なら「偶然だなあ」で終わる。が、統合失調症は一言で言うと情報処理能力の欠如。狂うと言うことではない。情報処理ができない。と言って知能が下がると言うことではない。日常生活は送れる。でも、ナンバープレートを見る。

「なぜ、俺の誕生日なんだ? もしかしたら、これはお告げかも?」

そんな風に勝手な想像をしてしまう。さらに、

「神様からのメッセージ。何で、俺に? 平凡な会社員なのに?」

「そうだ。今は会社員だが、本当は特別な存在なのかもしれない!」

「だから、神様がメッセージしてきた。いや、俺自身が神かもしれない....」

そうやって「私は神だ」と主張するようになる。そう聞くと「バカじゃないの?」と思うだろう。では、若い頃に飛行機事故でも死なない。頑張って勉強したら東大でも行けると思ったのはどうだろう? 何の根拠もない。どちらも似た構図だ。経験値のないことを想像(あるいは妄想)で補足して結論つけているのだ。

それが「思い込み」のある意味で正体なのだ。以前紹介した新人俳優も同じ。撮影でディレクターに褒められた。

「俺は才能あるんだ!」

と思い込んだのも同じ。彼は病気ではないだろう。でも、俳優は「思い込み」の力が強い。そのディレクターがお世辞で褒めたかもしれず。「素人にしてはうまい」と思ったかもしれない。そして別の仕事を頼まれたわけでもないのに

「俺は認められた!」

とあちこちで触れ回り、身の丈を超えた発言を始める。これも「褒められた」=>「認められた」の間を勝手な想像と妄想で埋めて結論を導き出しただけ。俳優でなくても、歌手志望、画家志望、作家志望、映画監督志望の人たちに時々いるのだが、

「私には才能がある。プロになれば成功するはず!」

と言う何の根拠もない自信。だが、それも先と同じで、妄想と想像で繋げただけの結論。「見る人が見れば認められる」とか「チャンスがあればブレイクできる」と思い込み、肝心な表現力をつける事をしない。努力して技術を磨くことをしない。

「だって、私は才能ある。ないのはチャンスだけ...」

しかし、その多くは勘違い。思い込み。その種の病気でなければ、1年、2年、3年やって目が出ないことで、現実に気づくはずだ。何が間違っているのか? 第1線で活躍する人に会えばすぐに分かる。彼ら彼女らは物凄い努力をしている。

「俺は才能あるからね〜」

と思っているアーティストなどいない。だが、それを知る機会は少なく、若者はマスコミが紹介するカッコイイ部分だけに憧れて、何の努力もせずに、あるいは出会いだけを求めて努力をしない。そして数年後に現実に気づく。

知り合いの女優の卵でも表現力を磨くより、監督やPの集まる飲み会にばかり顔を出して売り込む子がいるが、もう40代のはず。はっきり言って実力はない。全然、努力していないから。なのに

「チャンスさえあれば、私もブレイクする....」

と思い込んでいるようだ。その意味で「思い込み」は恐ろしい。表現者に必要な資質だが、同時にそれはその人を滅ぼすことになる。大事なのは現実を知ること。どんな努力をするべきか?考えることだ。



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