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新興宗教の女性信者に勧誘されたときのこと?① [my opinion]

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  学生時代。1980年代だが、駅前で友達を待っていると20代の女性2人に声をかけられた。東京では当時、いかがわしいアンケートで声をかけられることが多く、そのまま近くの事務所に連れて行かれ、怪しげな商品を買わされるという事件が頻発していた。「街角で声をかけてくる奴は怪しい!」だが、そのときは若い女性2人。普通の女学生風なので話を聞いた。

 それが新興宗教の勧誘だった。今思うと、それはオウム真理教だったかもしれないが、当時はそんなことは分からず、また僕は映画監督志望の学生だったので、「何事も取材!」と宗教の勧誘だと分かっても興味をそそられて話を聞いた

 「人は死んだあと、どーなるか?」という話をされた。極楽浄土(或は天国?よく覚えていない)に行くには生きている内に仏様(神様?)にお祈りしないと無限地獄に堕ちて苦しむというもの。だから、私たちのグループに入り、一緒に祈りましょう...てな誘いだった。

 ただ、僕は昔から宗教が嫌い。極端な言い方をすれば「証明できない詐欺」とさえ思っていた。死んだあとどうなるか?なんて、誰にも分からない。天国に行ける。地獄に堕ちるとなぜ分かるのか? さらに言えば、お祈りしない人を地獄に落とす神や仏って、どーなの?「我を崇めない者は許さん!」という発想? そんなことを神や仏がいうのはおかしい。そう思うとさらに信用できなくなり、宗教というのは証明できない論理を振り回し、信者から金を巻き上げる組織ではないか?とさえ思えた。

 さらに、ある新興宗教を信じ、何十年もお祈りしている知人がいた。が、祈り続けた長年の夢は敵わなかった。なのに、神も仏も信じない僕が目標であった映画監督になった。そこからも、やはり宗教なんて信じられない。と言って宗教を全て否定する訳ではない。僕は信じないというだけ。だから、余計に信じる人はどんな考え方をしているのか?興味はあり、そのときも勧誘する女性信者たちの話を聞いたのである。


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 彼女たちの信じる宗教は「信心すれば死んだあとに天国に行ける」という多くの宗教と同じ発想だった。しかし、それを証明することはできない。天国で楽しく暮らす信者のレポートとかあれば?まだ伝わるが、当然そんなものはない。地獄で暮らし「お祈りしておけばよかった」という人の話も聞く事はできない。やはり、どの宗教もその辺が弱いと思える。

 ただ、その種の人たち。特に新興宗教の人たちは、そんな考え方を頑に信じている。質問しても、信じる理由を明快に答えられないのに信じている。だが、人が何を信じるのは自由だ。そのときの信者の女性たちに対しても、その宗教を否定することはせず、「話は分かった。でも、宗教に興味はないので、入会することはできない」と伝えた。するとが、その女性信者はこう言った。

「死んだら地獄に落ちますよ。そのとき後悔しますよ」

自分たちの考え方を強引に押し付けてくる。「信じなければなりません!」「あなたは考えが足りない」そんなことを言って来る。もう、勧誘ではなく、強制であり、脅迫でもある。宗教に関わらず、僕は考え方や価値観の押しつけが大嫌いだ。その種の押しつけは徹底して拒否する。けど、我慢して「歳とって、死期が近づいたら、死後のことを考えるかもしれないけど、今は死んだあとより、この先、どんな生き方をするかを考えることが先決だからね」と彼女たちの考えを否定しない返事をした。ら、こうだ。

「それでは遅いんですよ!あなたは何も分かっていません!」

そこで怒り爆発。「いつ何を考えるか?」は人の自由。考えるー考えないも自由。なのに初めて会った、それも街角で声をかけて来た奴が「それでは遅い!」「あなたは分かっていない」って何? 

 いや、例え、それが僕の先生でも、師匠でも、先輩でも、親でも、友人でも、僕は拒否する。あれこれ指示、命令、強制する奴が本当に嫌い。特に自分の価値観を人に押し付ける奴が一番嫌い!!!! 「説教してやる!」と思っていたら、待ち合わせしていた友達が来たので、黙ってその場を去った。まあ、往々にして宗教の勧誘というのは、その種の押し付けがましい人たちが多いので、余計に宗教嫌いになってしまう。


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 だが、昔からある宗教ではなく、新興宗教はその種のしつこい勧誘をするようだ。そこから分かるのは、やはり大手と違い信者少ないから、組織拡大のために、強引な勧誘が必要だということもあるだろう。天国も地獄も本来関係ないように思える。それから10数年ほどして、オウム真理教事件が起こり、その前後にも、法の華三法行とか、スペースなんとか、他、よく分からない教祖が大金持ちだったり。その種のニュースが続いた。

 それらを見ていて感じることがあった。あのときの女性信者もそうだが、なぜ彼女たちは何ら論理的な根拠がないのに団体の教義を信じているのだろう。死後の世界がどうなるか?確認することはできない。にも関わらずそれを信じて天国に行くためにお祈りする。自身が何を信じてどんな行動を取るか?は自由だ。しかし、それをなぜ他人に押し付けてくるのか? つまり

 ①なぜ、根拠のない教義を信じて、祈り続けるのか?

 ②なぜ、その教義を他人にも押し付けるのか?

 これが最大の謎であり、オウム真理教の地下鉄サリン事件以降に報道された彼らの実態を見た多くの人が「何考えてんだ! あんな宗教に入る奴らの気持ちは分からない」と言ったのも、同じ理由だろう。ただ、この数年。原発問題や安保法制等を見ていると共通するものが見えて来た。さらに、何度も連載で書いた「Facebook問題」を重ねると答えが分かった来た。

 長くなったので、続きはまたいずれ....。

(つづく)




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