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日本の教育。本当の目的は何のか?① [my opinion]



 教育についてあれこれ考えているのだけど、高校時代から疑問に思っていたことが次々に解けて行く。そして、その背景が全て同じところにあることを痛感する。

 小中、高校。大学で、日本人の多くは勉強する。が、そもそも、そこで何を学ぶのか? 「知識」? 確かに歴史や化学。文学を学ぶが、それがのちのち役に立っているだろうか? 例えば「歴史」ー歴史とは様々な人々の人生があり、その人たちが成し遂げたことで社会が変わり、進歩、革新して行くことを見つめて行くことだろう。そこから学び、振り返り、未来のために役立てる。

 だが、現在の「歴史」という勉強は「時代の流れ」ではなく、事実を羅列してそれを記憶する。暗記するという勉強なのだ。710年に平城京ができるとか、1853年ペリー来航とか、つまり、歴史の流れや日本人の特性、資質、歴史上の意味を見つめるのではなく、いかに多くの事実を覚えられるか? 何年にも渡って、その作業を続けることができるか?ということが目的に思える。

 つまり、記憶力テストなのだ。その生徒の気力がどれだけのものなのか?を計るためのもの。歴史を学ぶとか、歴史から学ぶとかいうことではないと思える。当時の文化は***である。という事実を記憶するだけ。その文化が近代に何をもたらしたか? 日本人にとってそれはどういう意味を持つのか? という探求ではなく、その事実を覚えるだけの学科。
 
 英語も同じだ。16年間も学校で勉強するのに、英語が話せる日本人はとても少ない。なぜか? それは「話す」という勉強をしないからだ。そもそも、言語というのは「話す」「聞く」「書く」「読む」という側面がある。日本の教育では「読む」にほとんどの時間を費やす。つまり、話す。聞くはほとんど勉強していない。だから、外国人が何を言っているか?理解できなし、こちらの思いを英語で伝えることもできない。

 言語というのは、まず「話す」「聞く」であるのに、それをほとんど勉強せず。16年間も過ごすというのは正しいとは言えないだろう。では、残りの「読む」「書く」はどうか? 読むというより「訳す」という方が正解だろう。日本の英語教育はほとんどこれに費やされる。長文を読み、それをどこまで理解しているか?をテストで試されるのだ。

 そこで必要なもの。単語力。つまり、多くの単語を覚えていることで、文章を読むことができる。知らない単語が多く出て来ると、文章の意味を正確に掴めないからだ。とすると、これも「歴史」と同じ。いかに多くの単語を覚えているか? そう、これも記憶力を試す学科なのだ。だから、話すとか、聞くはさほど重要視されない。「記憶力」が優れているかどうか? それを計るための勉強なのだ。

 英語は「話す」「聞く」「書く」「読む」に分けられるが、日本の教育では「文法」というのがある。英語文法がいかなるものか? 勉強させられる。



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