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Facebook。再びお休みした=親切や応援が憎悪に変わる悲しいメディアなのか? [FB問題]

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春にFacebookを再開したときに注意したことがある。以前のようにランチの写真をアップしたり、「***市に行きました」「***さんと会いました」という記事を書かないようにした。そうすると批判や中傷。上から目線のアドバイスがかなり減った。なぜか? 

 それはランチの写真を見ることで、「へーこんなもの食べてるんだ。栄養ないのになあ。監督業も大変だなあ」と同情する。或は共感する。そこで距離感が近くなる。「***市へ行きました」と言う記事を読むと「うちの近所じゃん!」と感じる。それも親近感を持つ。僕の近況や奮戦記を読む。「監督がんばってるなあ〜」と応援したくなる。

 こうして「友達」たちは「よく知る友人ががんばっている」という認識になる。一度も会ったことはないのに...。そのことで応援してくれる。これはありがたいことだ。が、それが発展すると、他人ではなく、友達として「監督。***に気付いていないなあ」「***した方がいいんじゃないかな?」と思うようになり、会ったこともない人なのにアドバイス、助言したくなるようだ。

 それが、どんどんエスカレートして、

「野菜を食べなきゃダメだろ」「さっさと仕事しろ」「その考え方は間違っています」「もっと広い心を持つべきです」というコメントをするようになる。そんなふうに親や先輩のようにプライベートに関してまで説教や指示を始めてしまう。Facebook友達の一部にはそんなタイプがいる。

 もちろん、底辺にあるのは「親切」であり「応援」。だが、会った事もない人に対してそこまで言うことが常識を逸脱していることに気付かない。そこで僕が無視したり、注意すると「親切で言っているのに!」と怒り出す。「あなたのために言ってあげてるんですよ!」と逆上。プライベートをあれこれ批判しているのに、親切や応援だと言い出す。


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 そんなタイプは次第に攻撃的になる。

「応援したのに、許せない!」となり、悪意のあるコメントを書き込んだり、他の人にダイレクトメールで批判を送ったりして、憎悪の輪を広げて行く。最初は純粋に「応援しよう!」という気持ちだった善意の人が、結果的に憎しみに燃える存在となってしまう。悲しい。

 その原因は、僕がランチの写真をアップしたり。仕事ではあるが「***市に行った」とか、「**さんとお会いした」という記事を掲載したことだ。それ自体は本来、何ら問題はなく、誰かを傷付けるものではない。が、Facebook「友達」たちが親近感を持ち、本当の友達と勘違い、どんどん距離が縮まってしまう。

 それが分かって来たので、その種の写真や記事は春から極力上げないようにした。アップするのは映画の宣伝と、僕自身の意見を書いた評論やレポート。つまり、プライベートは見せないようにした。それは効果的で、以前のような「野菜が足りませんよ」というコメントはなくなった。ま、野菜が足りているか?いないか? ランチも夕飯も写真をアップしないので分からないからだが。それが大事だと痛感した。

 会った事もない人にあれこれ批判、指示。

プライベートをあれこれいうのは非常識ではある。が、そのことを言っても伝わらない。相手に良識を求める前に自分が何をしたか?を考えるべきだったのだ。「親近感」を持ってもらうことは本来嬉しいことであり、応援に繋がるのはありがたい。でも、多くの人たちがプライベートに踏み込み、あれこれ批判されては敵わない。最終的には嫌われ、誹謗中傷になる。それはこちらが注意するしかないのだ。

 あとやはり映画監督という職業も大きい。だから「応援してあげよう!」という気持ちになる。とてもありがたい。本当に嬉しかった。「映画監督なのに、こんな貧しいランチ食べてるんだ。応援して上げなきゃ」と思ってくれる。ただ、だからといって、毎日「野菜が足りませんよ」とコメントされても困る。そんなことは分かっている訳で、ただ、時間がなく。ランチ時に野菜がたくさん食べられる場所にいないだけだったりする。


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 また、映画界のルールや慣習もある。

一般では許されることも業界では許されないこともある。サラリーマンなら「親が死にかけている」となれば、仕事を休める。が、映画関係者の多くはそうはいかない。「親の死に目に会えない」仕事と言われるほど。そのことをあれこれ批判したり、「その考え方は間違っています」とコメントされても困る。そんな価値観の違いから批判に発展することもあった。

 もちろん、そんな人は一部ではあるのだけど、その辺を気をつけて記事をアップしたことで、かなり状況はよくなった。そして「友達」もさらに増えた。しかし、別の問題も出て来た。それはまたいずれ書きたいが、悲しい問題である。その種の問題だけではなく、やはりFacebookをやると時間を取られる。以前の記事でも書いたが、Facebookは田舎の喫茶店のようなものなのだ。

 そこを訪ねると誰か知り合いがいて、

話を聞いてくれる。或は、その人の近況を聞かせてくれる。孤独な都会に住む人には心のオアシス。でも、御節介な人たちもいて、プライベートをあれこれ訊いて来たり、一方的な説教をしてくる人もいる。そして、何度かその店に立ち寄ると、相手は本当の友達と思ってしまう。あれこれ「親友」や「親」のような注意や説教を始める人もいる。

 そんな店に映画の宣伝に長い間通った。いろいろ対応を考えた結果。以上のような「友達」は激減した。今ではほとんど批判的なコメント。大きなお世話はない。が、4本目の映画も無事DVD化され、しばらくは宣伝することがない。なのに、今も1日1回喫茶Facebookに通ってしまう。もし、僕があれこれ話を聞いてもらえるのが好きならいい。その交流で心癒されるなら問題ない。

 が、もともと忘年会嫌い。結婚式行かない。飲み会も嫌。という捻くれ者。孤独な都会生活が合っている。あれこれ言われるのが一番嫌い。できれば放っておいてほしいタイプ。心のオアシス・喫茶Facebookに通う意味がないことに気付く。


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他にしたいことがある。せねばならないことが山ほどある。だったら、Facebookを続けるより、お休みするべきだと思えた。習慣というのは恐ろしい。そのことにしばらく気付かず、毎日記事の更新をしてしまった。ただ、僕の記事を楽しみにしてくれている人もいる。休業のお知らせをすると100人以上の人が残念がってくれた。でも、本来の仕事だけでも手一杯。

 そんなことでFacebook休業となった。

こちらのブログは続ける。ブログにもあれこれ言うコメントは来るが、ブログの機能性からいってFacebookほど気楽にはできないシステムなので圧倒的に少ない。でも、1日1000件から3000件のアクセスがある。あと、ブログが突然に説明なしに途絶えて、数ヶ月が過ぎれば、僕が孤独死していることも伝えられる(?!)そんな意味もあるので、こちらは続ける。


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