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【一流神話の時代が終焉。本質を見抜く目を持つことが大事な時代】 [my opinion]

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新興宗教に嵌っている友人がいた。そんな彼から何年にも渡り、勧誘を受けた。その友人は悪い奴ではなく、長年の付き合い。だが、僕は昔から宗教が嫌い。初詣も行かない。お祈りもしない。クリスマスも祝わない。だが、友人はめげることなく、ことあるごとに勧誘。その宗教がいかに素晴らしいものか?を説明してきた。

だが、僕はひねくれ者だ。聞けば聞くほどうさん臭く、矛盾点も多く。信用できないと感じる。さらに教義の疑問点を訊いても明確な答えが得られない。「次まで勉強してくる」と友人いう。次の機会を楽しみにしていたのに、その後、彼は説明をしない。「前回、質問した答えはどうなった?」と訊くと「何だっけ?」というので、さらに不信感が募る。友人の努力の結果。その団体を僕はかなり毛嫌いするようになった。

彼が信じる教団だけでなく、僕は宗教というのは非常に疑わしいものだと思っている。どんなに神様、仏様に願いを伝えても実現しないことがほとんど。また、その宗教を信じていない人を神や仏は助けないのか? 信心する人しかケアしないのか? 神も仏もそんなに利己的なのか? そう考えるともうアウト。もちろん、人が何を信じるのも自由。それを否定はしないが、それを何年にも渡って、勧誘されるのは敵わなかった。

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そんなとき、思い出した事がある。戦後教育について。いい成績を取り、一流大学に行き、一流企業に入り。安定した生活を送るというのも。多くの日本人は、多くの親はそれを絶対的な価値観だと信じて、子供たちに押し付けて来た。宗教でいえば「**を信じれば救われる」とか「奇跡が起こる」というようなものだと感じた。細かく言えば違うが、僕にはそう思えたものだ。

でも、「一流神話」は次第に機能しなくなってきた。一流と言われる企業や会社が倒産したり、経営不振になったり、社員が大量にリストラされたり、そこにいても安定した生活が送れなくなってきた。なのに今も「一流企業へ!」と子供たちに必死で勉強をさせる親たちがいる。「お祈りをすれば幸せになれる」教える宗教が僕の中ではダブる。もはや、一流大学を出たからと安泰に時代ではないのに、多くの親たちが戦後教育システムの信仰をやめようとしない。

話は戻るが、その後、新興宗教に嵌る友人。「入信すれば夢が敵う。災いが遠ざかる」と言っていたが、入信しない僕は夢が叶って映画監督となった。様々な災いも乗り越えて来た。なのに信心深い友人の夢の方は叶うことなかった....。思うのは、彼が毎日、お経を上げている時間。夢を実現するための努力に当ていれば違う未来が見えたかもしれないということ。

ま、教育と宗教を同一線上では語れないが、僕の目にはどちらも滑稽に映る。宗教も教育も「将来いいことがあるから」「不幸を避けることができるから」「安心できるから」という漠然とした理由だけで信じてしまい、そのために膨大なエネルギーと月日を費やしている。そして、人々は自分たちの信じる価値観は絶対的なものだと信じ込み、まわりの人たちにも押し付け、信じない人を否定するのも似ている。


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同じことが「自民党神話」にも言えるだろう。戦後は自民に任せておけば経済発展できた。しかし、暴走する内閣。戦争ができる国になり、ウソをつきまくる首相。国民との約束は平気で破る。景気はよくならない。原発事故は今も収束せぬのに再稼働。なのに「自民党神話」に傾倒する人たちがまだ存在し、投票してしまう。これも信仰に見えてしまう。宗教も、教育も、政治も同じではないか? 本当に意味があることを見抜く目が問われる時代なのだ。

それが本当に意味あるのか? 多角的に検証すること大事。今の教育もすでに意味をなしていない。それを信じて子供たちを役に立たない教育システムに委ねる親たちは、妖しい宗教団体に子供たちを預けているように見えてしまう。国民に害しか及ぼさない政党をいつまでも信じて投票するのも、同様だと僕には思えている….。

ちなみに「だったらウチの教団の話を一度聞いてほしい」というコメントだけはご容赦くだされ。




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