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境界性パーソナリティ障害 ⑰ー人間業ではない?神との対峙を感じる [境界性パーソナリティ障害]

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【境界性パーソナリティ障害 ー神との対峙を感じる】 

今回は映画作家としての意見を中心に書かせてもらう。僕のまわりにも何年か前。患者がいた。あまりにおかしいので、精神科の先生に相談したら、典型的な症状だと言われて驚愕。えーーーまさか、僕のそばにそんな人がいたなんてー。と思い。勉強を始めた。

何年か前。おかしな奴がいた。Facebook上で執拗に接近。「応援してます!」「がんばってください!」と毎日コメント。近づいて来て、親しくなろうとする。だが、気に入らないことがあると、ネット上で相手を批判。「騙された!」「利用された!」と事実ではないことまで共通の「友達」に言ってまわり同情を集める。病的なものを感じ、精神科の先生に相談したら

「典型的な境界性パーソナリティ障害の症状です。関わってはいけません!」

と言われて驚愕。えーーーまさか、僕のそばにそんな人がいたなんてー。と思い。勉強を始めた。これまで、友人たちの中に精神病と思える人が数人いた。統合失調症。双極性障害。合わせると5人ほど。不思議なもので、それらの病気の症状にぴったりの行動や言動をするものなので、素人でも勉強すると分かって来る。だが、そんな話を友人にするとこう言われる。

「俺のまわりには精神病なんて1人もいないなあ。お前はおかしいから変な奴が寄って来るんだよ」

それは違う。彼は「まわりにいない」というが、精神病とはどんな症状なのか?を知らない。そう聞くと「頭がおかしくなって、包丁を持って暴れるような奴だろ?」という。やはりステレオタイプを上げるだけ。自分が知らないものを「まわりにいない」と断言するあたり、とても危険。でも、多くの人はそう思いがちだ。

だから、患者とのトラブルに巻き込まれても、まわりの人は単に揉めているだけとしか考えず。患者の問題点を指摘しても

「その人のFacebook見たけど、変じゃなかったよ」

と言う。ネットで「死ね。死ね。死ね。死ね。死ね」とか書いていると思ったのだろうか? その意味で世間の理解は低い。だから、当事者は大変なのだ。

そんな精神病。境界性パーソナリティ障害を勉強していて、いろんなことを考えた。病気というと「病原菌に犯されて体の不調を訴えるもの」と思いがち。精神病というと=気が狂う=知能が下がる=常識を失う=錯乱する。というふうに考えがちだ。が、パーソナリティ障害だけではなく他の精神病も、それには当てはまらない。

むしろ、狡猾。知能犯。といった言葉が当てはまることが多い。だが、決して悪意がある訳ではない。そして感じるのはパーソナリティ障害の場合は、患者の所行と似たような行為は生物界、植物界にある。

ドンピシャの例ではないが、植物の実は色鮮やかで、いい匂いを発する。それは鳥や獣に実を食べてもらうため。そのあと捨てられた種が、新しい生命となっていく。そのための手段がおいしい実なのだ。だが、植物は自身で「いい匂いの実を作れば、動物が遠くへ運んでくれて、食べたあとに種を捨てる。そうすれば別の場所で、子孫が育つ」なんて考えてはいないだろう。でも、そうやって命を繋いで行く。

患者も自分が求める「愛情」や「認知」を得るために、最初は愛想良く、けなげなキャラで好感度を上げ、やがて暗い過去を告白して、相手の同情や共感を誘い、心に飛び込む。やがて相手を自由に操り、求める愛情を極限まで受けとろうとする。が、患者自身がそんな手法を使えば、欲しいものが手に入ると思ってはいない。他で学習した訳でもない。なのに、多くの患者が同じ手法を駆使して、ターゲットに近寄り、取り憑く。それが症状なのだ。

そして患者は強い「愛情」や「認知」を求めるくせに、そこまでやったら相手は離れて行くだろう?ということまでしてしまう。ヤクザでも「今日はこのくらいにしといたるわ!」というように、追いつめたら逃げ出し、飯の種を失ってしまうので限度を考える。にも関わらず、患者は相手がボロボロになるまで離れない。それでいてターゲットを失っても、苦しまないで済むように、日頃から「種まき」をし、次のターゲットに狙いをつけておく。これをどう捉えればいいのだろう?

例えば覚せい剤中毒になると、薬ほしさにどんなことでもしてしまう。それを利用して暴力団は若い女性を中毒にして、売春をさせたりという事件を聞くことがある。禁断症状になると苦しくて、何をしてでも薬がほしいと思うからだ。

その状態と、患者の意識には近いものがあるように思える。しかし、中毒患者は苦しさから逃れるために、薬を買うために金を手に入れようとする。そのために体を売る。金を盗む。法に触れる行為をするが、パーソナリティ障害の患者はそうではなく、対人関係における策略でターゲットを確保する。

ヤク中患者は人としての思考をし、自分の経験や知識を駆使するが、パーソナリティ障害の患者は教えられてもいない手法や方法論を使い、驚くべき行動でターゲットを囲い込む。この辺の本能的とも言える行動が、人というより自然界の生き物に近い気がするのだ。
 
残念ながら、専門書を読んでもそこまでは書かれていない。ただ、分かってもらいたいのは、植物や動物。さらには麻薬中毒やアル中の人たちに対して、理路整然と反論しても無意味なように、患者に対して批判しても同じだということ。それどころかパーソナリティ障害の患者は反論、批判を期待して、先制攻撃をしてくるのだ。「批判」されるのも「認知」であり、自分のことを気にかけてくれていると、患者は喜ぶのだと言う。

その時点で患者の思惑に嵌っている。それに気付いても人はなかなか反撃を止められない。それは患者ではなく、人対神。そんな戦いであるかのようにすら感じてしまう。反撃するということは、自身で「怒り」を止められず、「耐える」ことができず、結果は相手に踊らされてしまうだけ。人間性を試されているかのようだ。まるで神から挑戦のように感じる。


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