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境界性パーソナリティ障害⑯ ー患者の思惑に嵌ってしまった男性の話 [境界性パーソナリティ障害]

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 「境界性パーソナリティ障害」の記事。

 好評で昨日も1日で300アクセスを超えた。今回は16回目。実際に聞いた話を書いてみる。

 A君は30代。とても真面目な奴。患者は女性。B子さん。同年代。Facebookを通じて知り合い、イベント等で実際に会い、意気投合した。交際が始まったが、次第に彼女の要求が大きくなり、A君は耐えられなくなる。あることで彼女が激怒。A君のことをFacebook上であれこれ、批判し始めた。

 患者B子はA君の大切な思いを、踏みつけにするコメントを毎日のように書き込む。最初は反論していたが、A君は精神病に詳しい友人からパーソナリティ障害のことを聞き、B子がそれだと気づいた。患者に反撃してはいけない。無視しろと言われていたので耐えた。

 だが、攻撃は続き、「これでもか!!」

 とAくんを怒らせようとするコメントが連日書き込まれる。よくよく読むと、B子のコメントにはおこがましいところ。上から目線。立場を踏まえていないことが分かる。が、共通の友人たちはまったく気がつかず、痴話げんか。2人は仲がいいというふうに思っていたという。

 そのコメント。よくこんなことが書けたな?というものだった。単なる悪口とか、批判ではない。本当に卑劣なもので、A君が大切にしている心の部分を踏みにじるものだ。

 ここに最初の悲劇がある。

 もし、2人が恋仲なら、Facebookという多くの人が見るメディアでB子がA君を批判するのはおかしい。ダイレクトメールでやりとりすればいいのだ。それをしないのはなぜか? これがもし、公人、政治家であるとか、芸能人をネット上で攻撃するのなら分かる。それらの人は国民から批判されても仕方ない立場だ。が、個人を、いくらカップルでも、恋人同士でも、ネット上で、名前を上げて批判するのは常識を逸脱している。もし、問題があるなら、特定の友人に相談するべきだろう。

 そう考えると、B子がA君の名前を上げて批判するのは、①常識がない。もし、常識があるのに、そんなことをするということは、②他に意図があるということだ。(相手が芸能人でも、政治家でも、有名人でも、自分の知り合いであるなら、ネットで批判せず、直接本人にいえばいい。恋人、ボーイフレンド、友達なら余計そうである)それをしないでネットで攻撃するということは、B子がまわりの人たちを巻き込みたい。自分がいかに辛い思いをしているか?を伝え、同情を集め、応援してもらいたいからと分かる。


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 だが、そこには誰も気付かず。痴話げんかと思っていたらしい。少し考えれば分かることだ。ネット上で批判するべきことでない。でも、意外に気付かない人が多い。いかにまわりの人たちは無神経で無責任か?が分かる。パーソナリティ障害はこんなことを背景に被害が拡大する。

 A君は何度も「友達」からB子を削除しようと考えたが、そうなるともっと大変なことになると考えて耐える。が、あるとき、A君がイベントで出会ったB子に会ってしまう。避けようか?と思ったが、決意して詰問。慢心の怒りを超えて聞く。「お前、よくあんな酷いことを言えるな? どーいうつもりだ!」だが、B子はこういう。

 「何いってんのー。 冗談ですよ。間に受けてどうするんですか?」

 もうイライラ限界だったのでA君はかなり逆上したこともあったが、それがこっけいに見えたのか?周りの人は大笑いしたという。コメントを読んでいた「友達」も冗談だと解釈していたのだ。ここで他人とはいかに無神経であるか?痛感する。真剣に読めば冗談でないことは分かる。が、まわりの人はそこまで考えない。だからこそ、B子の策略にまんまと乗せられたのだ。A君は「女性でなかったら、殴っていた」思ったという。あんな悔しいことはなかったと話すが、周りは理解しなかった。

 彼は我慢した。我慢したが、

 すでにB子の術中に落ちていたのだ。会場にいた人に聞くと、B子は満面笑顔で勝ち誇ったようだったという。何度コメントしてもA君にー無視されていたが、イベントで出会ったことで、激怒していることを確認したからだ。

 先の記事でも書いたが、愛情も批判も同じ。「私に関心があるんだ」と解釈するからである。B子は自分に関心があることを確認。さらにA君への攻撃を続け、自分は哀れな被害者を演じ続けた。次第に何人かの共通のFacebook友達が「B子ちゃん可哀想」「A君酷いよね」などとコメントするようになり、A君は悪者。B子は被害者という構図ができていった。だが、しばらくすると、B子からこんなコメントが来た。


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 「お久しぶりです。お元気ですか? その後、****はどうですか? 私の方はなかなかうまく行きません。また、次回、お会いしたときにいろいろ教えてくださいね!ヨロシク」

 A君は首を捻った。ついこの間まで、当てこすりや心を突き刺す批判コメントを送りつけて来たのに、何事もなかったようなコメント。これまでの言動は何だったのか? B子はパーソナリティ障害だと思っていた。が、もしかしたら違って、ここしばらくは体調が悪いとか、何か理由があったのではないか?そう思うようになった。

 もともと真面目で、優しいところがあるA君は彼女に電話した。そして、なんで、あんなコメントを何度も書き込んだのか?もう一度、問いただした。すると、B子はしおらしくなり、こう言ったという。

 「ごめんなさい。いろいろ辛いことがあり、あんたにしか甘えることができなくて、でも、無視されていたので、ムキになってしまった。信頼できるのはA君だけ.....」

 こうして、A君は再びB子と付き合いだした。

 まわりの友人たちは「やれやれ、喧嘩したり、仲直りしたり。忙しい2人だ」と思ったという。人は本当に無責任なものである。上っ面しか見ず、パターンに嵌めて理解しようとする。だが、その後、B 子は再びあれこれ無理な要求するようになり、A君を悩ませ始める.....。彼はまんまと、罠にはまったのだ。

 以上の展開。患者が凶悪で狡猾であることを説明した訳ではない。これが境界性パーソナリティ障害の症状なのである。それを病気でない一般人だと思って、常識を持って接するから、様々な軋轢やトラブルが起こるのだ。別の例で説明すれば、外国人が日本に来て、靴を履いたまま畳の上に上がるようなもの。それを激怒して「バカにしている」「常識がない」と批判するのに近い。


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 もっと言えば、麻薬中毒、アルコール中毒の患者

に近いと考えたい。自分を制することができない。いや、アル中の場合は「いけない」と思っていても、自分が止められないというが、パーソナル障害の書籍を読むと、自分を止めるという発想すら生まれないという印象を受ける。また、妄想や記憶の改ざんがあり、本人は至って常識的な行動や言動をしていると思い込んでいる。

 客観的に見ると、患者が全ての原因であると分かるのに、本人は「***さんが問題。裏切られた。許せない!」という発想で正義感さえ感じて攻撃をするという。これが演技とか、計算づくなら、どこかでバレて来るし、怪しまれるが、本人は真剣そのもの。だから、まわりの人が応援したり、巻き込まれたりして大変なことになる。

 A君も結局、B子に取り込まれ、

手中に落ちたのである。逆に、B子に反撃し、批判を続けたとしても同じ。一時期彼は「本当に許せない!」と激怒していたが、その段階で、B子の戦略に嵌っていたのである。この辺、映画作家としての意見だが、悪魔の戦略というべきものだ。通常は相手を怒らせないことが大事だが、怒らせることが目的。

 批判されても、攻撃されても喜びと感じる。互いに憎しみ合い、批判し合う状況を作る。誰も得をしない。そんな状況を望むこと自体。やはり、悪魔の所行と思えてしまう。

こんな風に一般の人は罠にかかってしまう。この文章を読み、「馬鹿だなあ」と思う人もいるだろう。でも、反撃に出て、延々と争ったとしても、それは戦っていることにはならず。患者の思惑に填められて、相手を喜ばせているだけだ。患者との対応。本当に愛があり、病気を治療してほしいという思いがなければ、対応できるのは「無関心」だけである。専門家にはそう言われた。

つづきはこちら=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2016-02-24





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