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境界性パーソナリティ障害 ⑮ ーなぜ、患者の卑怯ともいえる攻撃でも反撃してはいけないか?驚愕の理由 [境界性パーソナリティ障害]

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 患者が攻撃して来ても反撃してはいけないとの記事を前回書いた。説明が少し足りないので、補足する。友人であったはずなのに、患者はもう本当に腹立たしいことを言って来る。よくぞ思いついたということを批判してくる。或は「お前があれこれ言うべきことか?」「お前は何様だ?」ということをネットで拡散する。たいていの人はそれで激怒。「てめえだけは許せない!」と反論。反撃してしまう。が、それは無意味どころか、泥沼試合になるだけという話をしたい。

被害者に聞くと、その攻撃は本当に凄まじく、心のそこから激怒させられるものが多いという。自分が心の中で大切にしているものを踏みつけるとか、大事な存在を貶める。それを自身の友人知人、仕事関係に言って回る。ネットで拡散されるのだ。

「だから、許せない!!」となるのだが、考えてほしい。なぜ、患者は今まで友好的な付き合いをし、信頼関係があり、尊敬や敬愛の念さえ持っていたのに、ふとしたことで攻撃してくるのか? ここからは僕がこれまでに専門家の本を読んだり、経験者に聞いたりしたしたことをベースに書いて行く。

患者は誰に教えられた訳でもないのに、患者は日頃から自分の好印象をアピール。健気で元気ないい子であることを伝える。そしてターゲットを見つけると、「感動しました」「尊敬します」「応援させてください」というようなことを言って近づく。

いきなり近寄ってくると人は警戒する。「詐欺か?」「ぼったくりか?」と思われるが、自分のことを誉め称える相手なら悪い気はしないし、好意を持つ。そして患者の多くが女性であること。男性なら自分に近寄る女性を悪くは思わない。女性も相手が女性なら気を許すだろう。こうして患者は急速に親しくなる。以前にも説明したが、同時にターゲットのまわりの人たちにもアプローチ。「いい子」であることをアピール。もちろん、それが「取り巻き」作りである。

 何度も書いたことなので簡単に進める。つまり、患者は自分に愛情を注いでくれそうな相手を見つけると取り入り、まわりの友人関係も押さえて、簡単に逃げられないような環境を作る。そして、徐徐に注がれる愛情の分量を上げて行くのだ。最初は長電話。

深夜に長電話をしてくる。最初は「こんな私の話を聞いてくれてありがとう」と健気だが、愛を注いでくれることが分かると、相手の都合を考えず、自分の思いを延々と語り続ける。つまり、自分が満足するまで話を聞いてくれることが、愛されているという実感に繋がるのだ。深夜に「今から来て!」とタクシーで駆けつけさせるようなことを求め、それを受け止めてもらえることで愛されていると感じる。

そんなふうに心の傷を癒す愛情を求める患者だが、並大抵な量では足りない。相手も仕事や付き合いがある。いくら愛があっても、できないことはたくさんある。毎晩、深夜に電話をかけてきて「今から来て」と言われても適わない。どんな愛があっても、そんなことが繰り返されたら溜まらない。
 

患者は誰かに愛されないと(愛される定義が間違っているが)「私なんか死んだ方がいい」と自暴自棄になる。「今から死ぬから。さようなら」なんてメールや電話をかけてくる。が、同時に、それを利用して自分に関心を持たせるという側面もある。苦しいから、どんな手を使っても、振り向かせる。注目させねばならないのだ。

でも、頼み事を断ると、激怒。攻撃が始まる。それが先に上げた、究極の腹立たしい批判の連続。まず、患者の心理を説明する。外から見ていると、あれだけ好意的だった子がなんで急に憎しみをぶつけるのか?と思うが、患者は二元的な考え方をしてしまう。「敵か、味方か?」だ。要求を断ると一気に敵になってしまう。患者側からいえばこうだ。長電話を切ろうとするだけで「捨てられる! 私から離れて行こうとしている」「ダマされた」「裏切られた」「許せない」という発想に繋がる。その極端な思考もまた「病気」だから。

攻撃をすることで恨みを晴らすというより、関心を取り戻そうとするのである。「何で攻撃が関心になるの?」と思うかもしれない。考えてほしい。好意を持ち近づき、「いい子だ」とアピールして愛されるのも、口汚く批判して反論、反撃されるのも、いずれも「関心」を持たれることだからだ。どちらにしても、自分の存在を確認できる。

「好意」では応えてくれなくても、多くの人は攻撃されれば怒り、反撃する。反論する。それによって患者はアイデンティティの確認をする。先に例を上げた不良と同じ。彼ら彼女らは人に迷惑をかけ、非行をする。そのことで注目を浴びようとするのだ。関心を持ってもらおうとする。不良は愛情に飢えた子供たちが走りやすい。同じ発想なのだ。そして両者共にそれを意識していないのも同じ。

 同時に、反撃を受けることで共通の友人たちには「こんな酷い目にあっている。助けてほしい。あの人は本当に酷い」と被害者の振りをする。そのことで多くの人の同情を集め、ターゲットである人の友人にも攻撃させる。この辺、本当に見事としか言えない知能犯的な行動だ。なんで、そんな見事なシナリオが書けるのか? 不思議だが、患者の多くは同じ行動を取る。そこにあるのは幼い日に抉れた心を癒し、自分が存在すること。

 そのためにターゲットとされた人だけでなく、患者のウソや妄想にダマされた人たちが互いに傷付け合い、絆がボロボロになる。もちろん、もの凄い愛を持ち、患者を立ち直らせようとする人もいて、治療を受け完治したという話もある。だとしても、まず、患者が病気であることを把握しないと何も始まらないのだ。

 専門家に聞くと、責任を感じても、とにかく避けて、距離を置けと言われた。そして、攻撃を受けても反撃してはいけないとのこと。先にも書いたが、それは相手を喜ばされるだけ、思うつぼである。一番効果があるのは無視すること。無視されると、患者はどうしていいか?分からなくなるという。もちろん、しばらくは攻撃が続き、何とか反応させようとする。が、それでも反応してはいけない。無視した方がいいという。

 長々と書いたが、患者に悪意はない。説明したようにそれが症状なのだ。だから、怒り心頭で泥沼のような戦いをするのは、患者の思うつぼであり、誰も救われない。対応はひとつ。悲しいけど無視すること。しばらく攻撃は続くが無視すること。本当に悲しい問題である。



 続きはこちら=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2016-02-23-4


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