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Facebookに嵌らない人を見つめると、世間が見えてくる? [FB問題]

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 Facebook問題。考えて行くと、

 いろんなことが見えて来て興味深い。現代社会の断面から人の抱える闇まで様々な問題が関わり、それを突き詰めて行くと、日本人の次なるテーマが見えて来る。今回はいつもと違った側面を考えてみた。

 身の回り、多くの友人がFacebookをしている。70%くらいの友人がやっているのではないか? 逆にやっていない友人を上げた方が早い。で、なぜ、彼らはやらないのか?を考えてみた。訊くと「なぜ、やらないか?」ではなく、「なぜ、やらなければならないのか?」と言われてしまった。「Facebookなんてやるヤツの気がしれない!」ともいう。

 もう、ここで答えたが出たのだが、彼らには共通点がある。まず、学生時代から群れ成さないタイプ。若いうちは5−6人以上のグループで行動しがち。学校でも、遊びに行くときもそうだ。が、彼らは若い頃から、1人で、或いは2人で行動している。どちらかというと一匹オオカミタイプ。自分の考えを持っていて、流されない。むしろ、流行を追うのをバカにしている。

 宣伝やマスコミ報道に振り回されない。

 というより、興味がない。或いは宣伝や流行を毛嫌いしている。といって、はみ出しものではなく、友達もいて、学校ではどちらかというといい成績だった。文化や芸術に関心があり、現在はその種の方面で仕事をしている。サラリーマンになっても、自分なりの趣味を持ち、手堅い生活をしている。


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 そんなことを考えていると、

 これまで僕が記事で書いて来たFacebookに嵌るタイプの正反対であること思えて来た。もう一度、その辺を整理する。嵌るタイプー「都会暮らしで孤独」「友達が少ない」「グループや組織に所属することを好む」「主体性がない」「流されがち」「流行を追う」「自己主張はしない」「寂しがりや」「空回りしがち」「他人に関心がある」「お節介」「他人に優しい」「絆を大切にする」「友達が欲しい」「社交的である」等々、

 相反するタイプもあるが、主にこれらの人々がFacebookをやっているように思える。そして、その多くがそれなりに満足していると考える。多少、鬱陶しい「友達」がいても、まあ、どこにでもいるよな〜と無視。それらを踏まえれば先の友人たちがFacebookをやらない。やっても、すぐ辞めてしまうのは簡単に想像できる。

 「うるせーんだよ!」「面倒臭いなあ」

 「誰だお前」「何で、俺にコメントしてくるの?」と初日から不満が爆発するだろう。つまり、彼らは「喪失感」や「孤独感」を抱えていないので、現在いる友人関係以上の絆を欲していない。気心のしれた友達がいれば、さらにネットで「友達」が欲しいとは思っていない。それどころか、面倒くさい「友達」ならいない方がいいという考え。

 例え、1人で寂しい時間があっても、ネット上で交流を求めて寂しさを埋めるのではなく、テレビを見たり、本を読んだり、自分の関心があることをする。面倒な交流をするなら1人の方がいいと考えるのだ。そういえば、Facebookを辞めた業界の友人がいるが、彼もその種のタイプ。自分の考えを持っており、行動的。仕事もできる。今にして思えば、辞めたのは当然だろう。

 人にあれこれ言われたくないタイプであり、

 マイペースで、自分の道を歩んでいる。仕事はまじめに努力するが、つまらない人間関係は嫌い。面倒な付き合いをするならしない方がいい!というサッパリした性格。Facebookにときどきいる粘着質の「友達」」とは絶対に合わないだろう。


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 Facebookをやらない人。

 辞める人を思い出すと、そんな一匹オオカミタイプが多いような気がする。彼らのことを考えると、田舎の生活より、孤独でも自由な都会生活を好むようだ。

 あと、同様なタイプでもFacebookをしている友人もいる。が、彼らの多くは新しいメディアに対する興味が強い。「面白そうだから!」ということが動機であること多い。だが、決して嵌らず。記事も数日に1度。ほんのたまにアップするくらいだ。

 そんなふうに嵌らないタイプを考えて行くと、嵌るタイプが見えて来る。彼らにとってFacebookというのはやはり「仮想故郷」なのだ。そこに行けば、いろんな人が自分に関心を持ってくれる。声をかけてくれる。いろいろ心配してくれる。ときどき、大きなお世話もあり。無神経な人もいるが、基本的には悪意のない人たちと心の触れ合いができる場所なのだ。

 ただ、喪失感を抱え、友達のいない孤独な人は、

 それに嵌ってしまい、アイデンティティの確認をFacebookに依存してしまい「毎日、記事や写真をアップしなければ、自分の存在を忘れられてしまう」という無意識の強迫観念に囚われて、離れられなくなってしまう。エヴェアンゲリオン症候群のようなその種のタイプは今の日本には多い。

 特に若い人。そういう人は「いいね」をもらうことで、自分の存在を確認するが、それは小さな満足。すぐに寂しさにかき消されてしまう。満足感を得るにはFacebookを続けなければならない。それが中毒症状となる背景だ。つまり、そうではないタイプは嵌らないどころか、気嫌いしているのは非常に興味深い。

 さて、僕自身を考えてみると、

 やはりグループの一員ではなく、学生時代から1人で行動するタイプだった。組織や学校は大嫌い。田舎暮しが合わず、人にあれこれ言われるのが死ぬほど嫌。さらに言うとひねくれ者タイプ。これはFacebookには向かないということだったのだろう。3年も続けたのに! そう考えると、2年目くらいから凄いストレスになっていたことを思い出す。んーーそういうことか...。

 つづき=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2016-02-09


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