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【「永遠の0」をようやく見たけど....作者の思惑を感じて首を捻る】 [アクセス数300超え記事紹介]

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 [昨年アクセス数300超え記事紹介]


(昨夜「永遠の0」がテレビ放映されたらしいので、以前に書いた僕の感想を再掲載)

 劇場でも大ヒット。多くの観客が涙を流したという映画「永遠の0」しかし、同時に批判も多く、公開後に原作者がとんでも発言を連発したことで、さらなる批判が噴出。「どんな映画なんだ?」と興味を持って見た。

 最初に断っておくが、僕は戦争映画は好きではない。「男たちの大和」もどこがウケたのか分からない。そもそもアメリカ映画は「悪の帝国ドイツを倒す! アメリカは正義だ!」という単純化した構図で描くことが多いし。日本映画はなぜか?「私たちは犠牲者だ!」という形で描く。加害者であることを描く作品は少ない。もちろん、その両方を描かないと不公平だなんてことは言わない。映画は全てを描く必要がないからだ。

 ただ、戦争ということを考えたとき。一部だけを描くことで、特定の思いを強調、特別なメッセージが生まれてしまうのも事実(それを双方から描いたイーストウッドは画期的!)特にアメリカ映画は偏った描き方が強い。「トップガン」は戦争映画ではないが、事故で友人が死ぬと、主人公は悲しむ。が、敵(名前は出て来ないが明らかにソ連)の戦闘機を撃ち落とし撃退すると、大喜びする。

 当然、ソ連のパイロットは死んでおり、彼にも友人も家族もいて、悲しんでいるはずなのに、そちらは描かない。アメリカの映画館で見たが、観客は大喜び。敵の戦闘機が爆発すると拍手が起きた。最近のアメリカ映画はそこまで酷くはないが、基本、あの国の発想は自分が正義。他国の人がいくら死んでも平気という面がある。

 その逆が日本だ。太平洋戦争では多くの人が死んでおり、戦争を始めたのは(アメリカに嵌められたとはいえ)日本側であるのに、なぜか「我々は犠牲者だ...」と描くことが多い。それによって「戦争はいけない」というテーマに繋げているので、その構図がいけないとは言わない。が、「永遠の0」は少し違う。監督がどこまでの思いがあり、原作をどこまで踏襲しているかは分からないが、基本、特攻隊を賛美している作品だと思える。

 主人公の孫がコンパで議論するシーンにそれがよく現れている。「特攻隊は自爆テロとは違う。自爆テロは人を傷つけるのを目的にしているが、特攻は兵器である戦艦を狙ったものであり、全然違う」と力説する。ここがたぶん、作家のいいたいところだと思えるのだが、では、戦艦の乗組員はどうなるのだ? 戦艦だけ沈めて、乗員は傷つけないことが特攻の目的だったのだろうか?

 もちろん、日本を守るために死んで行った人たちを悼むことは大切だ。でも、それを賛美するのは違うと思える。さらに、当時は「お国ために死ぬ」という今では共感しにくい思想だったのを「生きて帰る。家族の元に帰る」という現代的な発想の主人公を配置、共感を呼ぶ物語にすることで、特攻隊を美化しようとする作家の思惑が感じられる。

 もし、「お国のために」といって死んだなら、観客は「バカだな」と思うところを「生きて帰る」と言い続けた主人公が死ぬのなら「こんな人が特攻隊にもいたんだ。すばらしい!」という思いを持つのではないか? 

 しかし、ラストで主人公が笑顔で特攻するアメリカの戦艦にも、多くの乗務員がいる。その人たちも「生きて帰る。家族のもとへ帰る」と思っている訳で、その戦艦にラスト、笑顔で突っ込んで行く主人公は何なのか? 家族のもとへ帰りたい主人公が、敵とはいえ、家族の元に帰れなくしてしまう攻撃をする。
 もし、主人公がそう考えていたなら、笑顔で特攻することはできない。では、あの笑顔は何なのか? 何だかアメリカ映画の「トップガン」と同じで、仲間が死ぬと嘆くが、敵が死ぬのは問題視していないように思える。

 そして物語自体が「少年H」の原作が批判されたのと同じように、現代から見て都合のいい解釈して書いた物語ではないか?と思える。(「少年H」は作者の自伝といいながら、その後の歴史を知らないと言えないはずのことを主人公が発言する等、作為的な記述が多く。批判が続出した)
 特別な思いのある作家が、その「思い」が多くの人にも伝わるように、特別な設定を持ち込み、涙と感動で見せる。まさに、コンパのシーンでの台詞を全編を通じて描いているのではないか? 原作者がツイートでこんなことを書いていた。

「百田尚樹@hyakutanaoki すごくいいことを思いついた!もし他国が日本に攻めてきたら、9条教の信者を前線に送り出す。 そして他国の軍隊の前に立ち、『こっちには9条があるぞ!立ち去れ!』と叫んでもらう。 もし、9条の威力が本物なら、そこで戦争は終わる。世界は奇跡を目の当たりにして、人類の歴史は変わる」

 これは皮肉であり。9条があっても攻められたら終わり。やはり軍隊が必要と主張しているのだろう。その言葉の背景にあるもの。それがまさに「永遠の0」という物語だと思える。

 涙と感動を織り交ぜて作ってあるので、表面だけ見ると美しく悲しい物語だが、「特攻隊は素晴らしい!」という思い、その背景には「軍隊は必要」「家族を守る戦争は美しい」というような思いが込められた映画であり、「反戦」がテーマではないように思えた...。


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