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僕がFacebookをやめた理由⑥ 実は自己確認のための作業? [FB問題]

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 5年ほど続けたFacebookを休止した。いろいろと仕事で役立つか?と思ったのだが、時間を費やした割には効果が低いことも分かった。別の意味でも、一度、止めてみることに意味があるように思えた。

 Facebookがあれば、友人たちの行動が伝わって来る。それによる安心感、或いは、その行動に励まされたり、応援したり。いろんな思いを感じる。が、近況を毎日、知ることが本当に意味のあることなのか?

 同時に、自分の毎日の行動を伝えることに、どんな意味があるのか?今日はどんな仕事をし、何を食べ、どこに行ったか?探偵が尾行捜査して記録するようなことを、自身がネットで報告しているようなものだ。そこにどんな意味があるのだろう。

 あまり意味が見いだせないのに、それを多くの人が実践している。なぜか?これは心理学でいう「自己証明」をしているように思える。アイデンティティの確認作業だ。

 「僕はここにいる」「今日はこれを食べた」

 「この町で仕事をした」「がんばっているよ」

 そんなことを多くの人に知らせることで認知してもらおう。忘れずにいてもらおう。褒めてもらおう。共感してもらおう。という意識が働いているのだろう。

 今の時代。人は会社の歯車にしか過ぎず。代えが効く存在。没個性で、目立つとあれこれ叩かれる。そんな社会で、自分の存在を確認する機会は少ない。だから、今「絆」と言う言葉がもてはやされる。多くの人は意識していないが、「絆」によって人は自分の存在を確認することができるからだ。 

 でも、日常社会で、会社で、学校で、それが認められるチャンスは少ない。Facebookの創設者はそれを狙って、システムを作ったと感じる。だから、Facebookの機能は簡単に文章が書けて、写真がアップできる。そして簡単に「いいね」を押すことができる。「友達」が増えるのも快感。

 コメント欄で支持してもらい、賛同してもらう。「シェア」もうれしい。そんな自己アイデンティティを満足させる効果がFacebookには組み込まれている。だが、同時に、いろんな形で不安が増長され、苦い思いをすることもある。

 それでも気軽に自己確認できるので、Facebookを止められず、中毒症状になっていく。それに気づいた。だから、一度休止してみようと思った。さて、どんな禁断症状が出るのか? 楽しみだ。


 つづき=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2016-01-03

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