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報道の中立公正なんてあり得ない! 偏った報道こそ意味がある? [my opinion]

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このところ、報道の中立公正についての意見をよく見かける。報道するときは客観的に、冷静に、伝えることが大事。偏った見方をしたり、一方的な伝え方をするべきではない。といわれる。が、果たしてそうだろうか? 昔から引っかかっていたのだが、最近特にそのことがいわれる。Facebookを読んでいても「客観的報道をしろ」とか「報道で意見はいりません」とか書く人がよくいる。

しかし、そもそも、客観的な報道なんて出来るものなのか? 例えば公害問題を記事にするとき、その記者が子供の頃に公害で苦しんでいたら、どーしても批判的な記事を書く。だが、公害問題に悩まされたことがなく、日本のためには経済復興こそが大事と願う記者であれば、「必要悪」と考えるかもしれない。

その時点でもう公正中立ではなくなっている。全ての事柄に利害関係や思想がなく、客観的に見ることのできる人なんているだろうか? 何より日本という国に住み、そこで育つだけで、日本的な価値観を持ってしまう。そんな記者が価値観の違う他の国のことを客観的に見れるのだろうか?

外側から見れば許せない事件でも、内側から関係者からすれば悲しい事情のある仕方ない事件だったりする。それを客観的に見たことだけを伝えて、事情の分からぬ視聴者が「許せない」と思うだけの報道に問題はないのか?

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その事件なりに踏み込めば、もう客観的な報道などできなくなる。被害者の気持ち。加害者の事情。それを客観的に伝えられるだろうか? どうしても一般の人は被害者に同情する。加害者を責める。だから、報道もすぐに「凶悪な犯人」「哀れな犠牲者」の構図で伝える。が、もうその段階で中立公正ではない。そもそも公正中立なんて不可能なのだ。では、どうすればいいのか?

意見を述べるべき。記者が自身の意見を書くべき。日本の新聞は記者名を明記しないことが多いが、要は署名で記事を書くことだ。自分が見た事件、現実をどう思ったのか?を伝える。自分の視点で伝える。酷いのか? 許せないのか? 悲しいのか? 感動したのか? 笑ったのか? 泣いたのか? 何が問題だと感じたのか? 自分が見たことを自分の考えてと共に伝える。

「そんなことをすると感情的になり事実が歪められ、真実が伝わらない」という人もいるが、すでに海外の新聞、特にアメリカではかなり以前から署名記事は常識だ。また今の時代。報道メディアは1社ではない。いくつもある。テレビ、新聞、雑誌、ネット。さまさまなメディアが事件を取材する。当然、いろんな意見が出る。それを読み比べることで、真実はどこにあるか? 自分で考えるべきなのだ。

「このAさんという記者は公害問題に怒りを感じているから、この記事も少し感情的だな」「Bさんはいつも鋭い記事を書くが、E新聞のこの意見が今回は正解ではないか?」とか比較することで、真実が見えて来る。つまり、ある法案審議を例にとれば「私は賛成です。なぜなら」「僕は反対です。これは危険過ぎる」と意見をいう方が、違いが出て、客観的に報道より比較しやすく、分かりやすくなるのだ。

実際、リテラシーのある人はすでに、報道をそういう形で受け取っているだろう。「A新聞は政府よりだから、政府に都合のいい意見をいうだろう」「Bテレビは反米だから、アメリカ批判が入っているな」とか「週刊Cは大手企業がスポンサーだから、国民より企業を優先しているな」という理解の仕方をしている。

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だが、多くの人は今も「テレビが言っているから正しい。新聞に書いてあるから真実だ」と思っている。そして意見をいう報道機関があれば「偏向報道だ」「公正中立にやれ」と怒るが、日本人のいう公正中立というのは、外面だけを伝えるものであり、それでは真実は見えて来ない。また、非常にダマされやすいことにもなる。

アメリカのニュースキャスター。多くは自分の意見をいう。が、日本はキャスターシステムを取り入れたのに、意見をいうと「私見を挟むな」と批判する視聴者がいる。意見を言わないのはアナウンサーであり、キャスターは意見をいう存在なのである。「公正中立」をあれこれいう人の多くは、その辺も分かっていないことが多い。

これからの時代。大切なのはそれぞれが意見を持つこと。発言することだと考える。意見が違えば、そこから考えることができる。が、中立公正などというと、それが真実だと思い込み。意見が出て来ない。つまり、客観的報道というのは、視聴者や読者に考えるきっかけを持たせない危険性がある。

中立公正といい、本当に大切なことを見えなくして、一部の人が都合のいい政策を進めてしまう。なのに視聴者自身が「公正中立」と叫ぶ姿は、誰かの思う壷だと感じてしまう。このところ言われている「公正中立」というのは政府に都合のいい報道であり、批判的なものを「偏向報道」と言っているだけに思えている。


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