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作家の「思い」が観客の心を揺さぶること。教えてくれる1本の小さな映画。 [【再掲載】]

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 チェルノブイリ原発事故を題材にした映画「カリーナな林檎」の今関監督の新作!

 昨夜、「クレウァニ 愛のトンネル」という作品を新宿の小さな映画館で観ていて考えた。「映画」というと大作で、有名スターが出ていて、お金がかかっていて、秘密基地が大爆発したり、目を見張る大群衆が出てきたり、CGを使ったスペクタクルがあったり....というハリウッド映画のような作品を思い浮かべる人が多いだろう。その映画「愛のトンネル」はそれとは対局の位置にある作品ではある。

 日本映画も近年、ハリウッドを真似て、巨額の製作費がかかった人気タレントが出ている映画が量産されている。が、本当に面白い!という作品がほとんどないのが実情だ。なぜ、日本映画はおもしろくないか? 「ハリウッドの物まねをしても、所詮、製作費の桁が3つ違うからね!」という人もいるだろう。それも理由のひとつだが、一番大切なものが抜け落ちているからだ。

大作の日本映画を作るのは主にテレビ局や企業が集まった製作委員会。それらが映画を作るとき、最初にするのはベストセラー原作を探すこと。そして、人気タレントのスケジュールを押さえる。そこから脚本家に原作の脚色を頼み。最後の監督が決まるということが多い。

映画の責任者は監督なのに、一番最後。全てお膳立てが揃ってから呼ばれる。その監督は撮影現場を仕切り、スケジュール通り、製作費を超えないようにして作品を作る。いわば雇われ現場監督。この環境こそがハリウッド映画のような「面白い」作品ができない背景でもある。

ハリウッドの場合。大作でも、監督であるジョージ・ルーカスやスピルバーグ。そしてジェームズ・キャメロンでもそうだが、彼らが企画し、自分たちがやりたい作品を作る。だから、超大作でも、SF大作でも、CGを使った巨額の製作費の映画でも、そこに彼らの「思い」が反映。貫かれている。

一方。日本の大作映画では監督は雇われた現場監督。作品を企画したプロデュサーや企業に「思い」はない。「知名度のあるベストセラー原作の映画化だからヒットして儲かるな!」ということしか考えていない。申し訳にテーマを「愛」とか「絆」とか付けるがそれは上辺だけ。監督も「それを描きたい!」という強い思いはなく「愛がテーマですね? やってみます」てな感じ。

脚本家も「思い」がなく、ベストセラー原作をどうやって映画に置き換えるか?だけを考えて執筆する。数年前に公開された人気アニメの映画化作品でも、脚本家はそのアニメに対する愛はゼロ。アメリカの「スパイダーマン」や「バットマン」のパクリのようなエピソードにして、そのアニメのファンから大ブーイングを受けた。もともと原作アニメへの愛はなく、その人はアメコミが好きだったのだ。

そんなふうに製作会社から脚本家、監督まで、誰も「この作品を映画化したい!」「オレの思いを伝えたい!」と思っていない。作品に対する愛もない。知名度のある原作を映画化すれば儲かる!というだけ。それが日本の大作映画。だから巨額の製作費がかかっているのに詰まらない。

それに対して、スピルバーグやルーカスも、キャメロンも、デビッド・リンチやティム・バートンも、現場監督ではなく、自分たちの「思い」を伝えるために映画を作っている。だから感動する。だから、感銘を受ける。たまに超大作でビジュアルは凄いのに、何かもの足りない映画がハリウッドにもあるが、それは日本と同じで、興行目的だけで、プロデュサーが企画。雇われ監督と使った作品であることが多い。

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そんなふうに実は観客が本当に感動するのは、製作費の額やスターの有無ではなく、監督なり、製作者の「思い」に打たれるときなのだ。それは別に「平和メッセージ」や「愛」「絆」という「いかにも」というテーマである必要はない。その作家が人生をかけて追求するもの。求めるもの。それを映画という世界でギリギリのところまで対峙したとき初めて「感動」が生まれるのだ。

昨夜観た「愛のトンネル」はまさにそんな1本。監督自身が主人公にダブった。監督が主役を演じているのではないか?と思えるほど。似ているということでなく、乗り移っていた。禁断の恋。教師と生徒の愛。決して斬新な題材ではないが、そんなことはいい。そこに込められた「思い」が観客の心を打ち抜く。

若くして命を落とした女性生徒。その責任を感じ何度も死のうとしながら生き続ける教師。そして、ウクライナにある死んだ人にもう一度逢えるという愛のトンネル。「逢いたい。もう一度、逢いたい。彼女に逢いたい.....」これを雇われ監督が演出しても、よくあるラブストーリーにしかならない。なのにこの映画は限りない悲しみを抱き、観客の心を揺さぶる。

それは何か? 監督の「思い」なのだ。たぶん、監督自身が何年も何十年も、主人公の教師と同じ思いを抱き続けてきたに違いない。どーしても消し去ることのできない、その悲しみを全力で映画にぶつけたのだろう。人としての叫び。血を流し続けた魂の告白。だから、観客の心を打つ。

その映画を見る観客も、事情は違えど抱える悲しみが呼び起こされ共感せずにいられない。それが映画。それが物語。製作費や有名俳優ではなく、作家の心からの叫びが感動をよびおこす。もちろん、それだけではない、まるでヨーロッパ映画のような美しい映像。ドキュメンタリーか?と思えるヒロインの存在。何度も劇中に登場する8ミリフィルムの映像。素晴らしいセンスを感じさせる。それらが相まって、かつてない光と影のアンサンブルを生み出している。

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だが、残念なことに、そんな「思い」を抱いて作っている日本映画は本当に少ない。だから、いくら製作費をかけても面白くない。そんなことを「愛のトンネル」を観ながら考えた。日本映画に失望している人。ヨーロッパ映画が好きな人ならぜひ、観てほしい。低予算でも、有名タレントが出ていなくても、CGが使われていなくても、心を揺さぶる映画というのは作ることができること。痛感するはずだ。

僕も監督業をする者として、もの凄く励まされた。映画は製作費だけではない。「思い」こそが感動を呼ぶこと。改めて教えられた。東京の公開は本日3月6日まで。新宿のKsシネマで午後8時50分からレイトショー。地方では順次公開。ぜひ!

HP=>http://www.is-field.com/klevani/


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