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「イスラム国事件の画像シェアは自重してください」という人? [イスラム国]

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本日はちょっと問題がある記事を書く。これは賛同できる人もいるし、いやいや、「あんたは間違っている!」と激怒する人もあるだろう。が、それらを含めて「考える」きっかけにしてほしいので記事にする。

イスラム国人質事件。非常に関心があったので、ネットとテレビにかじり付き、情報を探した。Facebookでは、その種の記事を書き、興味ある記事をシェアした。そんなとき、1通のダイレクトメールが来た。要約するとこんな感じ。

「ネットは多くの人が見ます。子供たちも見ます。意識しなくても流れて来た写真がいきなり目に飛び込んできます。残酷な画像は子供によくありません。今後、シェアするのは自重、慎重に子供たちのことを考えてシェアしてください」

これはイスラム国関係の記事を指すのだと思え、まず、当時シェアした記事を遡って確認した。が、残酷と思える画像がいきなり目につく記事はなかった。もしかしたら、その記事のリンク等をクリックすれば出て来たのかもしれないが、メッセージに書かれた「いきなり目に飛び込んで来ます」というものはなかった。

もしかすると、一般的には残酷と思えない画像でも、その人にはショックで「残酷」と感じたのかもしれない。そして「子供たちに見せるべきではない」という点も分かる。が、疑問も感じた。僕が記事をシェアするのはFacebook。子供がパソコンを開き、すぐに目に飛び込んでくるものではない。

申請して承認された「友達」でなければ、僕のラインは見れない。僕がシェアした記事をさらに「シェア」すれば、僕の「友達」ではない第三者が見ることはある。メッセージをくれた方は「子供の目に残酷な画像が飛び込んでくるので、シェアは気をつけてください」というが、僕のシェアした記事が「友達」ではない人が目にする機会は非常に少ない。

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さらに、僕のFacebook「友達」に未成年者はほとんどいない。親が「友達」で子供が一緒に見ることはあるだろう。が、その場合は親が注意することができる。子供に自分のFacebookを自由に見せる親もいないだろう。そう考えて行くと、なぜ、その人は「子供によくない」「シェアするときは考えてほしい」と言って来たのだろう。

そのメッセージを読んで思い出したのは、「はだしのゲン」の事件。学校の図書館が「描写が残酷」との理由で棚から撤去したことがあった。非難囂々。新聞、テレビでも報道された。ある記事では作者は執筆時のことをこう語っている。

「残酷な描写について、あまりに残酷だと子供が読みづらい。といって、残酷な描写を避けて通ると戦争の悲惨さが伝わらない。そこを悩んだ末に、残酷さを和らげながら、残酷さが伝わる表現を模索した」

 問題点はそこに集約されると思う。イスラム国事件も、残酷な画像がかなりアップされた。さほど残酷とは言えない画像も、ある人たちは「残酷だ。見たくない」ということもある。もし、これがテレビなら、メッセージをくれた方が言う通り。スイッチを入れれば、子供の目に、いきなり残酷な画像が飛び込んでくる。危険。というのは頷ける。

だが、ネットというのはテレビでは報道できない画像や情報を得ることができる。それを見る人は選択することができる。特にFacebookならば、この人は趣味が同じだから「友達」申請しよう。という形で選ぶことができる。もし「変」と思えば「削除」することもできる。

そのFacebookで「友達」に対して「シェアをするときは考えてほしい」と指示してくるのはどうなのだろう? 子供が見るかもしれないと指摘するが、その可能性は極めて低い。にも関わらず、「自重してほしい」という。画像をアップした人ではなく、シェアした人に「慎重に」と諭す。

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でも、それら「シェア」した記事は「いいね」がいつも以上の数字となっている。意図してエロ画像や残酷な写真をシェアしたのなら別だが、テレビでは伝えない事件関連の記事を読みたい、見たい人はかなり多い。

おまけに、その人は自分が残酷な画像を見たくないというのではなく、「子供たちのために自重してください」と言っているのだ。先にも書いたが、その可能性は低い。そんなことを考えている内に、「友達削除」された。

似たような話をいくつか聞いた。「残酷な画像をシェアするな!」と激怒されたというコメントが来たとも聞く。ただ、僕の場合。その種の残酷と言える画像をシェアしてくれる人がいたから、昨日書いたような「人質処刑ビデオは作り物」という記事を書くことができた。この記事も200近い「いいね」を頂き、多くの賛同の声が届いた。

シェアされた映像を見なければ政府発表の通り。あのビデオは本物と思い込んだろう。でも、そのビデオはテレビでは放送されない。やはり、自分の目で見なければ真偽は分からない。それを「残酷だから」と、封じてしまっていいのか?と思える。テレビは子供から大人まで見る。そこで残酷な映像を流せとは思わない。が、ネットで、それもFacebookで「それはシェアするな」「自重しろ」と相手に指示してくるのは、どうなのだろう?

ただ、こうも考えられる。その方は僕が青春映画をよく撮る監督で、さわやかなイメージを持ち「友達申請」をくれたのかもしれない。なのに、ここしばらくはイスラム国事件の記事ばかり。それで余計に嘆き、Facebookのシステムがどういうものかも、あまりご存知なくて、あのようなメッセージをくれたのかもしれない。

その方を批判しているのではない。先に書いたように「さわやかな映画を作る監督」というイメージだったので、戸惑ったのかもしれない。このFacebookの「友達」は1892人! いろんな方がいる。純粋な映画ファン。熱烈応援団。原発問題に関心のある方々、「朝日」支持の方、「向日葵」の応援団、僕の記事を読みたいという方。映画監督とは思わず、ジャーナリストだと思っている方? 趣味思考もいろいろ。それぞれが別の思いで読んでくれている。

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だから新ためて説明させてもらうと、映画作りというのは、例えそれがさわやかな青春映画であっても、何ら社会問題にも触れない絵空事の物語という訳ではない。それでは誰も感動できない。世の中にはいろんな醜い事実や残酷な現実がある。それらを正面から見つめることが映画作りのスタートなのだ。

虐待、いじめ、差別、引きこもり、そんな悲しい現実が子供たちを取り巻いている。取材をすると本当にやり切れない。教育問題だけではない。社会の矛盾、経済問題、国際問題、戦争、犯罪、原発問題。それらも正面から見つめることで、本当に大切なことが見えている。それが映画監督の仕事でもある。

僕の映画にはそれらが直接出て来ないものも多い。でも、そんな現実を見つめる映画を作ることで、今を生きる人たちの感動を呼び起こすことができる。今の時代、現実の問題から目を背け、夢のような物語を作っても意味はない。また、そんな物語を求める観客も少ない。

僕の映画のテーマはいつも「親子に伝える大切なこと」そして「幸せとは何か?」それを伝えるためには、過酷な現実を見つめることが大事。だから、イスラム国人質事件も関心を持ち、見つめ意見をFacebookにも書いた。多くの人が僕の記事を読んでくれたので、僕が関心をもった記事をシェアした。

シェアする記事は読んだ上で、紹介する価値ありというものを選ぶ。かなりな極論で、賛同はしなくても、この意見を読むことで、いろいろと考えるきっかけになると思うものはコメント付きでシェアする。いわば、僕のFacebook記事は、映画を作るに至る取材過程とも言える。そんなスタンスで記事を書いている。

そしてネットまでテレビと同じように、自粛自粛で大切な現実や情報を封印するのは違う。他人にあれこれ「自粛」を求める前に、ぞれぞれの親が子供のことを考え、何を見せて、何を見せないか?を教えることが大事なのではないか? 今回の件からいろんなことを考えた。


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