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「この程度の映画では泣けないよ」という友人。背景に見えてくる中年男性の危機。 [my opinion]

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友人のD君。40代男性。

学生時代からの映画ファン。今もときどき映画館に行くので、最近の映画の感想をよく聞かせてもらう。あるとき、家族3人で、ある日本映画を見に行った。青春ものだったが、泣けると評判の映画で、奥さんと息子は大泣きしたという。だが、D君はこういう。

「あの程度の映画では泣けないよ。女子供を泣かすことはできても、大の大人と泣かすにはいたらない。あれでは駄目。台詞での説明がやたらおおいし、いい加減うんざり。隣の席で嫁は号泣していたけど、何であれで泣けるのか不思議だ。その映画の監督ももう少し頭を使って、台詞のない5分のシーンを見せるとか、そういう挑戦をした方がいいね!」

僕も、その映画は見ている。だから、こう訊いた。「台詞のない5分のシーンはないけど、台詞のない6分間のシーンはあったろ? あれじゃ駄目なの?」そう。その映画にはD君が指摘するまさに、同じシーンがあったのだ。と、彼はそれを思い出したようだ。「そういえば、あったなあ......」そんな顔だ。

D君は沈黙する。

「この程度の映画では」と大上段に振りかぶり、批判していたのに、自身が指摘したのと同じシーンが描かれていた。それに気づかなかった。偉そうに批判する資格がないことを痛感したのだろう。彼はもともと頭のいい奴で、瞬時に理解して、己の至らなさを感じたのだ。さらに、彼はこう考えたという。

「台詞を使わずに6分も見せるのは大変なことだ。でも、この映画はそれをすでにやっている。俺はそれに気づかなかった。なぜか? それは台詞がなくても、主人公の気持ちが映像を通じて伝わって来たからだ。それが実に見事にできていたから、俺は台詞にないことに気づかなかった。つまり、俺は当て外れな批判をしていたんだ。もしかしたら、嫁や息子が泣いたのに、俺が泣けなかったのは、他にも見落としていたものがあるからではないか?」

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ただ、その思いを伝えてきたのは、ずっとあとになってからだ。そして、もうひとつ、気になることがある。彼のいう「女、子供は泣かせても」ということ。その意味は「女性や子供は安易な作品でも、簡単に感動して涙を流すが、大人の男は冷静に物事を見つめるから、安易なもので、簡単に感動したりはしない。よほど良くできた作品でないと感動はできないんだ」というものだろう。

ある意味で女性や子供の方が多感であり、

感動したり、笑ったり、泣いたりということが多いところはある。それをD君は「だから、程度が低い」と解釈しているように思える。でも、そうだろうか? そこに、そもそもの問題があるように感じるのだ。

感動したり、泣いたりというのはどこから来るのか? それは物語の主人公に共感。悲しみや苦しみを一緒に体感することで、泣けたり、喜んだりする。作られた物語の、身内でも、家族でも、友達でもない、俳優が演じるキャラクターの気持ちに共感する。それは想像力とか共感力があるからだ。他人の気持ちを察する。寄り添う。自分の痛みのように感じることができる能力があるからだ。

その能力が一番、失われているのが、大人の男性ではないか? だから、簡単には泣けない。共感する前に疑ってかかる。一線を引く。ビジネスの上では必要なこと。だから、そんな厳しい、シビアな視点で見る。D君はそう感じたので「大の大人は...」などと言ったのだ。

でも、そんな背景とは別に大人の男性は

想像力とか、共感力をなくしているのではないか? 満員電車に毎日揺られて会社に通う。うるさい上司、厳しいノルマ、客からのクレーム、与えられた仕事を深夜までこなす。給料は決して高くない。家に帰れば、今度は奥さんにあれこれ言われる。大変な人生だ。そんな日々を過ごして行くことで、次第に想像力や共感力が失われていったのではないか?

何を言われても「はいはい」といって済ませる。無意味だと思える命令をされても、深く考えるとやり切れなくなる。他人のことどころではない。想像力や共感力があっては、余計に苦しくなるのが会社員の立場ではないか? 

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D君も会社員。中小企業に勤めている。仕事は大変なようだ。もう、20年も勤めている。「いつ倒産しても、おかしくない」とよくいっている。つまり、D君は映画を見る目が厳しいから「この程度では泣けない」というが、実は想像力や共感力をなくしているので、主人公の悲しみや喜びを共有することができなかったのではないか?

なのに、彼の中では「俺は大人の男だ。

女、子供とは違って厳しい目を持っていて、あの程度のもので感動しない」と思っている。でも、事実は感性が錆び付き、想像力を失い、他人の痛みが分からない人間になってしまったとも言える。

もちろん、映画というのは趣味嗜好が強い。僕だって「世ちゅう」や「タイタニック」では泣けなかった。そのときはD君に近い意見を持った。が、僕自身も彼と同じように想像力や共感力をうしなっていたのかもしれない。中年以上の男性はそうなる可能性が非常に高い。奥さんたちが、長年連れ添った旦那に愛想をつかすのも、似たような理由ではないか?

つまり、感性の老化であり、劣化。人を思いやる気持ちが低下しているということなのに「女、子供と違う」「この程度のものでは感動できない」と感じている大人の男たちは、もの凄い勘違いをしているのかもしれない? 特に今の時代。様々な価値観がどんどん変わり、もの凄いスピードで時代が進んで行く。そんな中で取り残されて行くのも、大人の男性であることが多い。

女性や子供は環境に適応する能力が高いが、

男は過去の価値観に縛られがちだし、融通が効きにくい。いずれにしても、時代に取り残されるのは大人の男性だろう。僕も人ごとではない。新しいものを受け入れるのが難しくなっている自分に気づく。映画館でまわりが泣いているのに、自分が泣けないときは注意信号だと思うことにする。

ですよね? オオカミさん!
泣ける人は共感力や想像力がある。人を思いやる気持ちが強いということなのだから。

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