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「朝日のあたる家」で描きたかったこと。「お金」より大切なこと。 [「朝日」イベント上映]

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この映画は原発事故を題材としたので、どうしても「原発事故の怖さ」を痛感した!という感想が多い。もちろん、それによって福島の人たちの悲しみを少しでも理解できたら...という思いもある。でも、もうひとつ。大切なメッセージがあった。それは「幸せのかたち」を伝えること。

日々暮らしていると、幸せ感より、不満ばかりを感じる。お金がほしい。都会に住みたい。車がほしい。パソコンがほしい。そんなことばかり考えてしまい、自分は幸せではない。と思いがちだ。

でも、待ってほしい。「幸せ」って何だろう? 上記の不満を集約してみると「金持ちになりたい」「物がほしい」というのが幸せの形だと思えてくる。なぜ? お金と物なのか? 日本人はなぜ、そう考えるのか? それは太平洋戦争で、日本が圧等的な物量を誇ったアメリカという国に負けたことに起因するように思える。

貧しい日本。豊かなアメリカ。もの凄い物量を注ぎ込めた国に戦争で負けた。精神論では勝てないことを痛感した。だから、焼け野原となった街から立ち直り、幸せになるには、お金と物がたくさんあればいいと思えた。

アメリカという国の発想も影響した。アメリカンドリーム。貧しい青年が夢を掴み、富と名声を手に入れる。カーネルサンダースも70歳を過ぎてからKFCを創設し、大成功。ハリウッド映画を観ても、大金持ちになり、豪邸に住むことがサクセス・ストーリーだ。日本人も次第に、金を儲けて、物をたくさん所有することが成功者であり、幸せなのだと思い込んだ。

そうやって働き続けた日本人はバブル経済で大金持ちとなる。物は何でもある。世界一の経済大国になった。多くの人が浮かれた。アメリカを追い抜いたと有頂天になった。が、何か満たされないものがあることに気づく。求め続けたお金も物も手に入れた。なのに、幸せ感がない。満たされた気持ちにならない。

そしてバブルは崩壊。一部の人は「再びバブルを!」と願うが、大切なものは別のところにあることを感じ始めた人も多いはずだ。何が足りなかったのか? それは戦前、日本にはどこにでもあったもの。当たり前のものだった。それを戦争に負けたとき、日本人はそれを捨てて、「お金」と「物」を選んだ。そちらの道を歩み始めたのだ。

それが、今になって、その捨ててしまったものこそが「お金」より「物」より大切であることを感じだしたのだ。それこそが心を満たし、幸せを感じさせるものだった。それを映画「朝日のあたる家」で探してみた。原発事故で全てを失った家族。一時帰宅で、1時間だけ、家に戻る。大きなビニール袋一杯分だけの物を持ち帰れる。取材をすると、多くの家族が持ち帰ったのは、家族写真のアルバム、子供の卒業証書、子供が描いた絵等、お金を出しても買えないものが多かった。

そして、多くの人が、もう一度、故郷に住み。あの街で生活したい。と願った。そう、お金はまた働けば手に入る。物は買える。でも、思い出は買えない。故郷も買うことはできない。自分を育んでくれた故郷で、自分をよく知る隣人たちと、生活することが、かけがえないものであることを感じた。

友人と、同僚と、隣人と、そして子供たちとの絆こそが、何よりも大切であることを痛感する。そう、戦後、日本人が「お金」と「物」を選び、捨てたのが「絆」だったと思える。でも、その「絆」こそが大事で、幸せを実感できるものだったのではないか? それを映画「朝日のあたる家」で描きたかった。

だから、貧しくても、物がなくても、田舎で暮らしていても、長年生活した街で、近所には友達がいて、家族と朝ご飯を食べ、それぞれが会社に行き、学校に行き、夜また、食卓を囲んで夕食を取る。そんな平凡な日々こそが、幸せではないか? それを戦後の日本人は「お金」と「物」を手に入れるために、それこそが幸せだと思って、追い求め。気づくと、家族はバラバラになり、多くの人が都会を目指して古里を捨て、バブル経済に突入して行ったように思えてならない。

本当に幸せはそこにはない。本当に幸せはごく身近にあり、「お金」では買えないもの。人と人との「絆」にあるのではないか? と思い始めた。それを描いたのが「朝日のあたる家」である。

シネマート新宿 2014/11/23(日) 19:00~(1日限り)

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