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考える力シリーズ=あなたは「考え過ぎじゃないの?」と言うことありませんか?その背景にある怖いもの。 [my opinion]

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日本人は16年もの間

「与えられることを確実にこなす」という教育を受けたことで、自分では考えない。与えられたことを疑わずに受け入れるという大人に育ってしまったという話を前回書いた。だから、テレビのいうことを鵜呑みにして、嘘や詭弁でも信じてしまい、疑いを持たない人が多いという話。

それでもネットをやっている人の多くは、テレビの嘘に気づき、ネットで発信される情報を探し、事実を求めている。が、それでも、やはり日本の教育に縛られている人が多くいるように思える。

先日、ある記事を掲載。もの凄い反響で、多くの人が支持してくれた。が、数人だけ「考え過ぎじゃないですか?」というコメントをしてきた。だが、どう考え過ぎなのか? は書いていない。それは反論ではなく、自分の思いを綴っているだけ。

この件に関わらず。

昔から「考え過ぎじゃないの?」という人と話していて感じること。「考え過ぎ」ではなく、その人の「考えが足りない」ことが多い気がする。頭が悪いという意味ではない。その人なりに考えているのだが、結論に到達できないときに「私にはその答えにたどり着けません」とは言わず。相手に「考え過ぎじゃないの?」というのだ。

言い換えれば、ミステリードラマで、Aさんはアリバイがない、動機がある、凶器を使う技量もある、現場に指紋が残っている、だから犯人だ!と、論理の積み重ねにより、探偵が犯人を特定しいく。ほとんどの人がその過程を納得するのだけど「考え過ぎじゃない?」というタイプの人は、どこかの過程で理解できなくなる。そんなとき「自分が理解できないのではない。その論理が間違っている。考え過ぎなのだ!」と解釈。要は「考える」ことを投げ出すのだ。

だから、そのタイプの人。「考え過ぎじゃないの?」とはいうけど、どこがどう考え過ぎか? どこの何が間違っていると指摘することはまずない。これは何かというと、日頃から「考える」という行為をしていない、だから、積み重ねる論理についていけない。繰り返すが、頭が悪いということではない。日本の教育16年間で、考えることより、与えられたことを暗記する作業を続けて来たからだろう。

上から与えられたことは素直に受け入れる。

疑いを持たない。でも、友人知人が発言したことはすぐには受け入れられない。が、矛盾を感じても、明確な反論ができない。考えるという訓練を受けて来なかったからだ。だから、反論ができず。自分の考えがそこに至らないことを棚に上げて、「考え過ぎじゃないの?」といってしまうのだろう。

日本人にはこういうタイプ。多いのではないか? 「何か違うんじゃないの?」「考え過ぎじゃないの?」という割には何が違うか?明確に指摘できない。それは与えられた答えを暗記するだけの勉強を長年して来たからだと思える。

だから、テレビで報道されれば鵜呑みするが、

政治や経済問題についてマスコミ報道を批判する友人がいると「考え過ぎじゃないの?」と受け入れない。上からの情報は疑わず、身の回りからの情報は受け入れず「考え過ぎ」で終わらせる。そのくせ明確な反論はできない。何とも上の人たちからすると、非常に都合のいい人たち。「右向け右」と言われれば、何も疑わずに右を向く人たちなのだ。

現在、「秘密保護法」「集団的自衛権」そして「原発再稼働」について、多くの人が反対している。が、同時に多くの人たちが、それらの実態を知らないのに、マスコミの流す上辺だけの情報を鵜呑みにして、反対する人たちを「考え過ぎじゃないの?」と感じている。知ろうとしない。考えようとしない。自分が理解できないことは「考え過ぎ」と結論づけ、何もしないでいる。

そうなった背景にあるのは、

暗記、暗記、暗記の詰め込み教育。その中で成長した人はどうしても「考える」という作業が苦手。これまでは、それでよかった。上の人たちのいうことを素直に聞き、働けば安定した生活が約束された。

でも、今は違う。考え、疑い、「本当はどうなのか?」を考え、自分は何をするべきか? 子供たちには何を伝えるべきか? それらを真剣に考えて生きないと、とんでもないことになる。そんな時代。キーワードは「考える」のはずだ。



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