SSブログ

「朝日のあたる家」を感情的な映画と批判する人たち [「朝日のあたる家」観客の感想]

1966722_602477109826597_1830871745_n.jpg

 朝日のあたる家ーある男性の感想。”何だか感情的な映画だねー。これはまさに推進派がいつも反論するときに指摘する感情論を、そのまま物語にしたような作品。それじゃ駄目なんだよ。こんな映画は伝わらない。どうせなら、もっと淡々と事実を描く方が伝わると思うがねえ”

 映画というのは、観た人がいろんなことを感じればいい。テーマと関係ないことでも構わない。ただ、その感想を聞くといろんなことが見えてくる。この人の感想からもいろんなことが見えて来た。

 まず、”朝日”を推進派が反論するときに使う”感情論”そのものだ。という意見。非常に興味深い。そして、もっと興味深いのは、その人が”それじゃ駄目なんだよね”と指摘しているところ。それらの言葉から男性は、反原発に賛同する人であることが分かる。推進派のいい分をいつも苦々しく思っているようだ。だから、”感情論ではなく理論で反論しなければ、議論には勝てない”と言っているのだ。

 その何が興味深いかというと、その男性は推進派が”感情論では駄目だ!!といえば、それに合わせて感情論ではなく。理屈で議論せねばならないと思っていること。放射線の数値、経済効率、医学的な論争で議論すべきだといっているようだ。

 不思議!! なぜ、推進派が感情論が駄目というと、それに対応してしまうのか?なぜ、推進派が求める形で議論しようとするのか? 裁判や学者の学会ではない。感情論がなぜ、いけないのか? 

 福島では今も多くの人が放射能の恐怖に晒されながら生きている。不安。恐怖との戦い。避難した人も、悲しみと苦しみに苛まれている。いや、福島だけではない。放射性物質を含んだ食べ物は日本全国に拡散されているし、全国の原発のどれが、第二の福島になるか? 多くの日本人が怖れている。それを感情論だから.....と否定していいのか?

 怖い、苦しい、悲しい.....だから、何とかしなければ!と人は思うのだ。それを否定して、経済性や科学で議論してどうなる。人は強い感情を持ってこそ動き出す。そんなときに理屈ではなく、利害を超えて人は行動する生き物。子供のため、彼女のため、家族のため。古里のため。誰かを守る。そんな感情こそが最大級のエネルギーとなる。

 原発を推進したい人は、利害で判断する。利益のために行動する。だから、得をしなくても動く人たちは困るのだ。そして、怖い、不安だ、恐ろしいという感情を持つ人を説得するのはとても大変。だから、”感情論では駄目”と批判するのだ。やりにくいから、そう主張するのに、なぜ、その反対派の男性はそれを受け入れて、推進派のいう理屈で議論しようとするのだろう?

 もっといえば、その男性は推進派と会合を持ち議論している訳ではないだろう。それならなおのこと。推進派に足並みそろえて感情論を否定する必要はない。もう一度書く。原発問題以外にもいえることだが、人が動くのは、人が真剣になるのは、理屈ではない。医学的な根拠、経済性、科学的な数値で、人は本気にならない。人が本気で動くのは感情が揺さぶられるときだ。

 この子を守りたい。この人を悲しみから救いたい。可哀想だ。許せない。がんばってほしい。そんな感情から人は利害を超えて動く。自分が傷つくことが分かっていても行動する。だから、人は素晴らしい!

 だからこそ、僕は”朝日のあたる家”では、科学、医学、経済、そんな側面から原発事故を描かず。事件に巻き込まれ、古里を失った家族の悲しみをひたすら描いた。その悲しみこそが百の理屈よりも、多くの人の心に届くと考えた。感情は大事なのだ。

 どんなに議論をしても、数値を並べても、人は納得しない。理解するのは専門家だけだ。多くの人はそれでは動かない。人を動かすのは感情。だから、感情論は大切。そう考える。


m_m_m_E68989E58699E79C9FE_edited-3-81c43.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。