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「朝日のあたる家」製作と都知事選の共通点? [都知事選14]

 
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 昨年暮れに「朝日のあたる家」地元スタッフの忘年会に参加させてもらった。そこで撮影時に大活躍してくれた年配の男性がこんな話をしてくれた。

 「最初、ワシらが映画を作るなんて絶対に無理だと思った。製作費を自分たちで1000万集めないといけない!と聞いてさらに無理だと思った。でも、何だかんだで完成した。地元の完成披露上映会では3千人も集まった。かつてないことだよ。

 ロサンゼルスの映画祭にも参加、日本は映画館で25カ所も上映。何万人もが観てくれて大成功。こんな展開ができるなんて夢にも思わなかった。途中であきらめずに、映画を作ってよかったと思うよ。

 で、何で無事に映画ができたか?考えてみたんだ。製作費集めるにも企業は一切協力してくれんかった。最初は反原発の人たちだけ。でも、その内に映画作りは面白そう!という人たちが参加してきた。テレビに出ている俳優さんを見たいと、手伝いに来た人もいる。地元で作る映画だから協力せな!という人たちも出て来た。

 監督の前の映画を応援した浜松の人たちも手伝ってくれた。豊橋の団体も応援してくれた。原発反対でない人もたくさん参加してくれた。そんな人たちがいたから、製作費も集まったし、撮影もできた。反原発の人たちだけでは完成できなかったろう。
 原発事故を描いた映画というと、反原発の人たちだけが応援したと思われそうだけど、実はいろんな思いの人が集まったことで完成したんだよなあ...」

 今回の東京都知事選を見ていて、その話を思い出した。映画作りも選挙も同じではないか? 反原発支持者が応援するだけでは勝てないのではないか? それ以外の人が数多く賛同することが大切。強い思いがない人が安易に賛同し投票することですら大事。ミーハーな人にも支持してもらうことが大切なのだ。

 「朝日」を作ろうとしたとき、「がんばったが、結局完成しなかった」では無意味だと考えていた。完成して、原発事故の悲劇を伝え、福島のことを考える機会を作り、家族の幸せとは何か?を考えるきっかけを作ってこそ意味がある。
 選挙も同じだ。もし、その候補者が反原発を掲げるのであれば「がんばったが落選した」では無意味。勝って原発ゼロを実行することに意味が有る。そんなふうに考えると、答えが見てくる。

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