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映画「朝日のあたる家」を見て「この監督は想像力がないんですか?」という映画館主(1−2) [「朝日」DVD発売ー再掲載]

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 2014年2月の記事より

 「朝日のあたる家」

 物語の中で起こることは全て、福島で起きたことをベースにしてある。

 泣かせるために、無理矢理作り出したエピソードはない。

 作った物語より事実の方が強烈であり、胸を打つ。

 「福島ではこんな酷いことがあったのか....」

 「人が死んでなくても、こんな悲しいことが続いていたのか...」

 そんなことを知ってもらうために、全て事実を元にしてある。

 誰も知らない驚愕の事実を描いている訳ではない。

 しかし、すでに新聞で報道されたことでも、それを俳優が演じることで

 迫真の名演技を越える熱演で

 本当の「痛み」と「悲しみ」が伝わって来る。

 テレビ、新聞は「情報」だが、映画は「体験」。

 だから体感できる。それが「朝日の」を作った意味である。

 福島の方が体験した苦しみを、平田家というひとつの家族に集約し、

 それを静岡県湖西市に舞台を移し、描いていた。

 では、なぜ、福島を舞台にしていないか?というと....。


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 なぜ、福島を舞台にしていないか?というと、

 福島を舞台にすると、観た人がこう思うからだ。

 「福島。大変だったんだなあ。可哀想だなあ....」

 これでは意味がない。他人事になってしまう。

 だから、ロケ地湖西市。

 昔はどこにでもあった美しい日本の原風景のある町。

 特別なものはなく。懐かしい景色がたくさんある。

 そこを舞台にすれば、

 「オレの田舎に似ているなあ。

 あそこで原発事故が起きるとこんな風になるんだなあ」

 そう感じてもらえる。

 他人事ではなく、自分の古里のこととして考えてもらえる。

 だが、ある映画館主さん。

 映画を観るプロであるはずなのに、それが分かってもらえない人がいた。

 「これでは福島のときと同じなんですよ。

 新聞やテレビで報道して皆、知っていることばかりですよ。

 別の場所を舞台にして、フィクションとして描くのであれば

 もう少し違った展開ができるんじゃないですか?

 想像力を使うということがあるでしょう?

 それがまるでないんですよね。

 この監督は想像力がないんですか?

 なので、この映画の上映はお断りします」

 えーーー何でそーなるのー? この館主さん???? その背景を探った...。

 (つづく)

 




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