感想/福島から避難した方からのお便り [「朝日のあたる家」観客の感想]
感想/福島から避難した方からのお便り
昨日京都みなみ会館で見た「朝日のあたる家」の感想というか、
感じたままを連ツイしてみる。
1)「朝日のあたる家」は予想以上でも予想以下でもなかった。たぶんそれは太田監督がこの映画で表現したかったことと私が震災以降に通過した経験や気持ちが同じだからではないかと思う。
2)映画を観る前から自分がバラバラになっていくのを感じた。映画を観る自分と映画を観ている自分を見ている自分、そして震災直後の自分。観ている内にだんだん3つ目の自分が幅をきかせ、最後に二つ目の自分が色々問うた。ていた。福島県人が見るには覚悟のいる映画だよ。
3)「おだやかな日常」を観た時は、正直、鼻で受け流すような部分が大きかった。勝手にやっててちょうだい。福島から比べりゃあさあ~みたいな…。(決してバカにしているわけではないですよ)この映画の舞台が福島そのものでなかったことは一つのポイントだな。
4)当時小6だった娘と高2だった息子のことが頭を過りっぱなし。そしてわが夫が映画の中のお父さんみたいでなくて本当によかったと改めて思った。夫や義父は今もいわきにいるわけだけれど。映画を観たあとメールした。そして今日は義父にも電話した。おだやかな会話。
5)子どもは親(もしくは親の役割を果たす人)でしか守れない。いや、親であっても守れないことさえあるのだ。特に緊急事態には、親の漠然とした愛情だけでは子どもは守れない。親の考え方、知恵、決断、経済力、行動力で子どもの運命が決まる。今は原子力緊急事態宣言発令中だ。
5)夫の弟は高校2年で白血病を発病し、21歳で亡くなった。「乳幼児期にレントゲンを沢山撮るとか放射線をたくさん浴びるようなことがありましたか?」福島県立医大で聞かれたそうだ。36年前のことだ。「何が悪かったんべかね。」義母は亡くなる前までつぶやき続けた。
6)義母の実家は原発から近い警戒区域だった町で、1号機の送電開始時に義弟は10歳。毎年夏休みには遊びに行って遊んだり泳いだりしていたそうだ。震災後、義父は「万一思い当たるとしたらそのことくらいだ。」と話した。
7)そんな家族背景があったから、子ども達だけでも先に避難させるという選択を夫も義父も賛成してくれた。転勤族(福島県内のみだけど)の家であったことも幸いした。
8)次男を亡くすという不幸を経験している義父は「みんな万一なんてことがないと思ってんだろうな。自分の子が自分より先に逝くなんてこと、万一起きたら…。」と。息子夫婦にもそんな悲劇が万が一でも訪れない最善を尽くさせてくれた。
9)「拳銃が重い。自分の子も救えなかったのに。」福島県警の警察官だった義父は次男を亡くし、定年まであと1年足らずで退職したんだと義母から聞いている。
10)「朝日のあたる家」を見て、改めて義父に感謝している。孫溺愛型の義父なんだけれども、自分や先祖のために孫をそばに置いておくという選択ではなく、孫の将来を考えて辛い選択をしてくれた。孫達もそのことはよ~くわかっているから、おじいちゃんにも優しい。
10)「故郷、「その場を離れたくない」は取りも直さず、その場での生活がいかに幸せだったかの証じゃないか。諦めきれないは強欲じゃないか。「朝日のあたる家」のお父さんに語りかけていた。
11)自分や家族の身を守るため、緊急事態に入手できる情報は一際大切だ。福島でも情報の入手先で決断は大きく分かれたと思う。また、遠方からの客観的情報も大切。山本太郎扮する叔父さんのように、心配して情報やアドバイスをくれる人がいるかどうか、そして、それをどう受け止めるか。
12)「直ちに人体、健康に影響はありません。政府は責任回避の余地を残してこう言うんだろう。私は「将来あぶないかもよ。あとで文句言うような人は、今の内に逃げる準備して逃げて下さいよ~」と解釈したんだ。
13)我が家は福島第一原子力発電所から45㎞。自主的避難地域であり、子ども達は3月13日の夜中にいわきを出て14日から姫路で暮らしている。私は幼稚園と病院の託児室の園長という職柄離れられないと考え、いわきに残り1年後に子ども達の元へ。
14)長男のセンター試験の時でさえ、傍にいてやれなかった。あの時くらいは休みを取って姫路へ行けばよかったと悔やんでいる。震災から二週間後、長女の姫路の中学校の入学式に出た時「地震がきた時、責任者がいなくてどうするのですか?」と職員に詰め寄られた記憶が邪魔をした。
15)もちろん園児のことは心配だったけれど、自分がいたからってどうにもならないことが多いんだ。いや、残留活動をしているようにさえ、感じていたんだ。結局は人目を気にしていたに過ぎない。園長の代わりはいても、母親の代わりになれる人はいない。
16)二人だけで避難して1年間過ごした息子や娘のことを考えると今でも胸が痛み、目頭が熱くなる。放射能による健康被害を避けるために、子ども達に精神的被害を負わせてしまうのではないかという心配。なかったわけではないが、この子達なら大丈夫だと思い、まず守るべきは何かを考え、避難、転校させた。
17)「ママ、私がメンタル強い子でよかったね。弱くて登校拒否起こすようだったら、避難させなかった?」「寂しかったと言うより、帰りたかった...。」つい先日の娘の言葉。小学校にランドセルを置いたまま避難して、友達に挨拶もできないまま、姫路の中学校に入学した。
18)志望大学を落ちた時、浪人を勧めたら「もうこれ以上自分の存在場所がはっきりしない生活はいやだ。」と長男は言った。来春は成人式だ。「成人式はいわきで出たいんだ。で、トンボ返りで戻って来て、姫路の高3時のクラス会にも出たい。」姫路の高校に転校し、今は京都の大学に通う長男の言葉。辛い反面、ほっとした。
19)元々兄妹仲が良かったのだけれど、今は私が入っていけないくらい益々仲の良い二人。「だって、戦友だもんな。」兄の言葉。いちごを独り占めすることはないと思う(笑)。
20)先月も夫が姫路に来て、家族4人揃った。「家族が一緒にいる」そんな当たり前そうなことに心底幸せを感じた。
21)「ご主人が一番辛いでしょう。もし、そこで気持ちを共有できないと益々辛い。」震災半年後『百人百話』のインタビューを受けた後の岩上安身さんのことば。この言葉のおかげで、私は気持ちを共有する努力をし始めた。そして、今、もしかしたら、一緒に暮らしていた頃より仲がいいかもしれない。岩上さん、ありがとう。
22)福島県内の転勤族だった義父の関係で夫も県内を転々とし、転校も4回経験したらしい。子ども達にそんな経験をさせたくないと、大手企業からいわきの地元企業に転職した夫。避難転校した子ども達の辛さも私以上にわかっているだろうし、転校させることは無念だったに違いない。
23)私は地球上、どこに住んでもいいじゃない。」と軽く思っていたのだけれど、そうもいかないこと、そうはいかない人がいることを福島で驚くほど味わった。「朝日のあたる家」のお父さんみたいな人が多勢。
19)人間が住めなくなるような場所を人間が作ってはあかんわな。もう福島では作ってしまった。まだ、作るつもりか!?そうそう、あの原発兄ちゃんには、もうちょっと頑張ってほしかったな。
23)終の住処と決めていわきに家を建てたのは2003年。まさか、こんなことで離れるなんてね。悔しいけれど、人あってこその家。
終わりに)まずは子どもを、自分の家族を守ろう。家族が元気で心身寄り添い暮らせる幸せに勝るものはないよ。そのためにもっと社会を知ろう。幸せに生きる権利を守ろう。地球上に住めなくなる場所を作るなんて、とてつもない罪悪だ。取り返しのつかない罪を重ねてはならない。
経済成長ありきで騙されていないか。本当の豊かさ、幸せってなんだろう。それは、誰かの犠牲の上に成り立つものではないはず
一生懸命生きるその懸命さの視線、もう少し後ろに引いて見てみようよ、考えてみようよ。「朝日のあたる家」はそのきっかけになる映画だと思う。
2013-11-17 23:14
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