原発事故と映画界の似た構図 [●「朝日のあたる家」序章 2012]
2011年 秋
原発事故を見ていると思い出す。
映画製作でも似たような構図がある。
トラブルが起きると、会社は隠そうとすることが多い。
事故処理に当たることが大切なのに、隠蔽に必死。
そのことでトラブルは拡大。他のことにまで悪影響。
結果、作品のクオリティは下がり。ろくでもない映画になる。
会社は大損害。考えれば分かるのに対応できない。
今回の原発事故も同じ構図ではないだろうか?
なぜ、映画製作で会社はトラブルを隠蔽するのか?
それはスポンサーに見放されないようにするため。
今後も仕事をもらえるように
”プロジェクトは問題なく進んでますよー”
とアピール。トラブルがバレても個人のせいにしたり、
被害を小さく見せたりする。
原発事故も同じ構図だ。
事故をできる限り小さく見せ、被害も大したことないような発表。
両者にもさらなる共通点がある。
映画界でも問題を起こす会社というのは、日頃から何もしない。
このままじゃトラブルが起こる!
と分かっても動かない。それを察知して対処しても、
”心配症だなあ”
と言われる。僕やスタッフが必死で問題解決、
”ホラ、何も起こらなかったろう?”
と言う奴もいた。でも、そんな会社は数年後に倒産した。
原発も同じ体質ではないか?
映画界、その種の能天気な会社。危機意識がなく、
スポンサーの顔色を伺うだけの社長。
やがて倒産した。
その場凌ぎ。ウソと隠蔽で切り抜けても、結局、行き詰まる。
同じ体質の原発も同じ結末を迎えるだろう。
その崩壊へのカウントダウンがスタートしたのだと思える。
ただ、それが数年で終わらないであろうこと。
悲しいドラマを引き起こして行く。
(つづく)
2012-09-02 19:03
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